見出し画像

20代女性の私でも「おじさん化」は他人事じゃないかもしれない

先日、大学の授業の現役生+OBOGコミュニティの忘年会に行ってきた。いつも通り知ってる人が半分弱、初めましての人が半分強くらい。

せっかくだから初めましての人と話すんだけど、最近新しい人に自分から話題を振るみたいなコミュニケーションをサボりがちだった私は、対して人から話を聞ける機会があったらどんどん話を聞きにいく姿勢の現役学生からあれよあれよという間に話を引き出されていく。

気づくと会話の中で私が話してる分量が多いことがちょっと引っかかっていた。帰りの電車で思い返すとその引っ掛かりとはもしかしておじさん化注意報なのではないだろうか!!

ここでいう「おじさん」は中年男性という意味ではなく、年齢やジェンダーやコミュニティ内での地位など権威を持った存在であり、変化に対して硬直的だったり意識的または無意識的にその権威を自分より弱い立場の人を利用しようとするなどの性質を含めてもいいかもしれない。つまり20代女性の私でもコミュニティ内で相対的に年上に分類された時「おじさん」になり得るのだ。「アジア人の、若い、女性」である私は今まで自分がマイノリティ に属する性質を割と持っていて(もちろんマジョリティの性質もたくさんある)自分が舐められないように気を付ける方に注力していることが多かったので、「おじさん」は自分から遠い存在だと思っていた。

変化に対して硬直的になるなどに関しては自分の心がけ次第みたいなところがあるからそれは心がける。(私は頑固なのでこれは前からずっと心配してる。)

権威に関しては、この場合は年齢という観点で自分がある種の権威を持つ側に立ってしまった時(まだ年上を立てたりという文化が色濃く残っている社会でそれを今すぐキャンセルすることはできないので)、料理の取り分け、お酌、ジョークを言うなど様々な場面で自分の行動が何を意味するのかに気をつけて、もしかしたら例えば一番年下の人が料理取り分けなきゃってなる前に年上の人が取り分けちゃうとか、「みんな自分で取るでいいかな?」って言うとか、先回りして権威から脱却するための戦略の手札を持っていた方がいいのかもしれない。

(端的に言うとこれはageismの話だから自分の特権に自覚的になって、もしそれによって不均衡が起こっているのだとしたらそれを是正しなくてはいけないっていうのは至極当たり前の話なのだが)

もちろんたくさん話をすることが悪いことではないし、私も人の話を聞くのが好きだから、自分と違う経験をしてきた人の話を純粋に聞きたいという気持ちはとってもわかる。ただ私が話をするターンになっているという状況が何の上で成り立っているか、ということに意識的にならなくてはいけないかもしれないと思ったっていう話。

27歳、「おじさん化」は他人事じゃない!

幸いにも私には何歳になっても考えが柔軟で実力も実績もあるのに謙虚なかっこいい大人を何人も知っている。そういうロールモデルがいるのは嬉しいことだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?