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#2 Salvatore Ferragamoに出逢う

先日新宿にあるBrooklyn Parlarで出会った一冊の本。1998年にイタリアの有名なシューズデザイナーのサルヴァトーレフェラガモの生誕100周年を記して刊行された
"SALVATORE FERRAGAMO THE ART OF THE SHOE"

この本には彼が作り上げた華麗なる靴が195点掲載されています。

どの年代の靴も個性と気品が同居する素晴らしいもので、何より心を奪われたのは無駄のないコケティッシュなフォルムでした。

彼の作った靴は美術品のようなオーラがあり、こだわりがどこからともなく香ってくるような雰囲気。創業者のサルヴァトーレフェラガモについてよく知りたくなったので調べた事を以下にまとめてみました。

サルヴァトーレ・フェラガモ(フェッラガーモ、Salvatore Ferragamo)は、イタリアのファッションデザイナー(1898年6月5日 - 1960年8月7日)。
また、同デザイナーにより設立されたファッションブランド、および同ブランドを展開する企業。靴をメイン商品として展開する。フェラガモと略すことも多い。wikipediaより引用

神童サルヴァトーレの才能

サルヴァトーレが初めて靴を作ったのは9歳の頃。貧乏な農家に生まれ、靴を買うお金がなかったことから妹のために靴を作ったそうです。

小さな頃から靴工場に入り浸り、ずっと靴作りを見てきたサルヴァトーレは12歳でお店を立ち上げてしまうほどでした。この頃イタリアでは靴職人という仕事は酷く階級が低く両親から反対されていました。

15歳の時にカウボーイブーツの工場で働いている兄がいるアメリカボストンへ渡り、その後サルヴァトーレはカルフォルニアへ拠点を移した。映画の衣装として靴を作ることとなったサルヴァトーレの靴はハリウッドで愛され、俳優たちを顧客に”スターの靴職人"と名声を集めていた。

履きやすさへのこだわりから大学で解剖学を学んだ。

イタリアへ戻り開業

1927年母国イタリアへ戻りサルヴァトーレフェラガモ社を開業。しかし彼の計画は人々から認められず、販売はアメリカやロンドンやパリへの輸出のみだった。資金繰りもうまくいかず1929年ごろから始まって行った世界恐慌の影響もあり1933年には破産してしまう。

工場が閉鎖されたわずか2日後にに以前靴を購入してくれた夫人のもとへ靴を買ってもらえるよう直談判しにいったそうです。セレブの間で口コミが広まっていったサルヴァトーレフェラガモの靴は更に広がりを見せもう一度軌道に乗ることになります。1939年にはまたアメリカやイギリスなど先進国でも販売されるように。またこの頃のフェラガモオリジナルの靴には一切機械を使わないというこだわりもあったそうです。

セレブに愛され続けるフェラガモシューズ

こだわり抜かれた完璧な履き心地は、骨格の歪みを直し、人々の心までも癒していったと言われています。マリリンモンローやオードリーヘップバーンといった有名人からイタリアのエレナ王妃など上流階級の人たちの多くが顧客となっていました。

1943年イタリアは第二次世界大戦へ突入。戦争の最中、靴作りの為の素材が手に入らなくなっていく。この状況の中サルヴァトーレは、セロファンやコルクなど積極的に新しい素材を取り入れウエッジサンダルなど新しい靴を次々と生み出す。1949年にはフェラガモ初のバッグを制作、翌年には靴づくりも60%が手作業残りの40%が機械での作業と分業をすることとなり時代に沿った物作りが進められた。

1960年にサルヴァトーレは死去し彼の家族たちの活躍によりフェラガモの進化は続く。

最後に

誰かに反対されたり、うまくいかずどん底の状態になっても靴に対する思いや自分自身への自信を失わずに人生をかけてひたすら行動してきたサルヴァトーレフェラガモ。信じ抜く力をこれほどまでに持てる人はどれだけいるのでしょうか?
きっとこの人間力なしには完璧な美はありえなかったのでしょう。
アーティストとして見習いたいと思える偉大な存在にまた出会えたことに感謝♪

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