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村上春樹と

 世間一般に言うところの「本好き」ではない、と思う。胸躍らせて誰かの新刊を待った、という経験もないし、大学生になるまで自分のお金で本を買ったこともない。たまに本を買うときは、古本屋の100円均一棚から適当に10冊抜き出してレジに持っていく、などというと世の「本好き」に一発ずつ殴られるかもしれない。当然『騎士団長殺し』も未読である。

 村上春樹との出会いは高校3年のセンター試験のときなのでかなり遅い。とはいえ、当時春樹は極めて実験的な作品『アフターダーク』の刊行直後で新刊を出していなかったし(次作『1Q84』までは実に5年の間隔があく)、地方の男子高校生の目に触れなくてもさほど不思議はない。加えて、今思えば当時母は僕の手元から"その手の本"を遠ざけようとしていた傾向にあった。東京で地下鉄サリン事件が起こり、高学歴の若者がカルトに没入していく様を見ていた両親は、息子が同じ道を辿るのではと危惧したらしいが、まったくもって笑止千万である。当時の僕の偏差値は40を切っていたのだ。センター中に春樹を読んでいたのも、受験から半ばドロップアウトしており暇だったからにほかならない。

 かくして初めて手にしたのは、新潮社『象の消滅―短篇選集1980-1991―』。米クノップフ社がセレクトした短編集の日本語版、といういわば逆輸入版なのだが、当時の僕は無論知るよしもない。冒頭に、『ニューヨーカー』に作品が掲載された当時の心境が綴られたエッセー、続いて「ねじまき鳥と火曜日の女たち」と続く。アメリカで1993年に刊行された本書の収録作はいずれも近年の作品と比べると過剰なまでに洒脱でドライだ(だから両親は僕の手に届く範囲においておいたのかもしれない)。阪神大震災・サリン事件"前"ということを強く感じさせる作品群である。

 二十歳を過ぎて村上春樹のエッセーもいくつか読んだが(僕の周囲には「村上春樹はエッセーのほうが好き」という者も少なくない)、僕はこの『ニューヨーカー』について語った作品がいっとう好きだ。致死量のスノッブ臭――村上春樹のエッセーといえば、近所の定食屋とか家事について書かれたものを思い浮かべるかもしれないが、何せ『ニューヨーカー』について語られているんである。スノッブスノッブ・アンド・スノッブなのだ――にあてられた地方の男子高校生は「ようわからんばってん、すごかねー」と思ったという。

 センターの数十日後、僕は大学に通うため上京した。和式トイレの六畳間で、PCもスマホも存在しなければ繁華街もなく(小金井市に住んでいた)、入学式までの時間を持て余した十八歳男子が、実家から送られた段ボールから『ノルウェイの森』を手にとったのは至極もっともな展開である。刊行年(1987年、同い年だ)のものだったが既に第三版ぐらいだったと思う、うん。まー、読むよね。それこそ貪るように読んで、ラストシーンでは「俺はいったいどこにおるんや(小金井市である)……」と薄暗い和式トイレのなかで呟いたといわれている。上京直後の未成年が読むにはいろいろと過剰だったのである。

 それから十年が経つ。村上春樹は相変わらずマラソンをしつつ新作を出し、僕はドラマの脚本に「※ここでベロチューしてください」などと書き入れている。やれやれ。おしまい。

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