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5月病のワタシへ。

新緑の眩しい季節になった。
GWも終盤にさしかかり、キモチがとてもざわざわするのを感じる。

トラウマ、根深し‼︎

会社員をやめてもうすぐ2年が経とうとしている。
あのまま、会社員を辞めない選択肢もあったかな?どうだかな?っと今でも思う。決して仕事が嫌いだった訳でも、職場の仲間が嫌いだった訳でもなく、好きな仕事を自由にさせてくれたあの会社を辞める理由は、側から見たらなかったかもしれない。

パンデミックという今まで体験のしたことのない渦に巻き込まれたことにより、私が精神のバランスを崩してしまった。

これが退職の主なる理由なのだけれども、そうなるまで壮絶にメンタルをやられた。そのピークが2年前のGWであり、この季節。会社に向かおうとすると涙が止まらなくなり、出社しても仕事をすることができず、早退してただただ上野公園を泣きながら歩いていたあの日々。

自分で自分のことを鋼のメンタルだと思い込んでいた。だからパキッと折れたのだと思う。これはおそらく、どんな人でも陥る可能性のあること。

もうすっかりそんな私は過去なのだけれど、しっかりと刻まれたトラウマが季節の匂いで蘇る。

まぁ、でも、これはどうしようもないことなので自分の傷と向き合って「アイタタ」って思いながら抱えていくしかないのだけれども。1年でもっとも気候の良い季節に、GWが終わってしまう切なさを感じなくてもよいフリーランスなのに、GW終わりに鬱々とした気分になってしまうのはすごーくもったいないなぁと思う。GWが終わっても出社する会社はないし、私は私のやるべきことをやるだけのことなのだけれども。

メンタルの問題は、本人にしかわからない部分が多々あり、また本人でしか解決できないことでもあると思う。他人の理解を求めようとしても、それは側から見れば「甘え」であり「怠け」である。ここを100%の理解で接してくれる人など期待してはいけない。いないと言い切ってもいい。

自分で自分を強くしなければ

あの日から戦い続けた精神の自己鍛錬は、きっとまだまだ続くけどこの2年間で叩き、磨き、大事にしてきた私のメンタルはだいぶ頑丈になった気がする。

人に優しくしなければ

そう思えることが多くなった時、自分が強くなっていっているのを感じる。

人生に無駄なことなんてなにもない。苦しかった日々も、今も苦しいことも、難しいことも何もかも、私が私として生きていくために必要なことでしかない。

もし、苦しい理由を他に求め始めたらそれはとても危険なことだ。

誰かのせいで自分が苦しい、誰かと比較して自分が苦しい、自分ばかりが損をして苦しい、そんなふうに思った時、人は自分を大切にできないし他者にやさしくもできない悪循環にはまる。自分が苦しい時こそ、自分と向き合うしかない。その理由を他に求めるのはとても簡単な逃げ道だから、そこに逃げたら袋小路に陥ってしまう。

穏やかなメンタルで生きることはとてもとてもムズカシイ。
でもそこをコントロールできるのが、人間なのだとワタシは思う。

5月病のワタシへ。
深呼吸をして、新しい空気を吸って、太陽を浴びてお散歩をして、美味しいものを食べてください。これから毎年この季節に苦しくなると思うけど、その痛みはいつかは和らぐ。なくならなくても和らぐ。

生き急がず、時に立ち止まって緑を見よ!

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