「イミテーション・ゲーム」を見て泣いたのは

まずジョーンとチューリングが結婚するところ。
ジョーンがチューリングがゲイだとわかったうえで、それでも新しい愛の形として二人の関係を築けばいいと決断したところ。当時の時代背景等を考えると、その決断がいかに勇気が必要だろうか。チューリングへの愛と理解とが深くなければ出来なかったであろうと考えると、そんな出会いが羨ましいと思った。

クリストファーが亡くなってしまうところはもちろんだよね。

でも、やっぱりラストのシーンだよね。ゲイであるということが、矯正されなければならないとされていた、その当時の価値観、ルールへの憤り。ありのままで生きられなかった人たちの気持ちを考えるととても胸が痛い。彼らが戦っていたということへの尊敬にも似た気持ち。

私が今この文章をタイプしているのも、広く考えるとチューリングの偉業の上に可能となっている(んだよね?)。彼がもし、服薬させられることなく、死を選ぶことなく、研究を続けられていたら、その後の世界はどうなっていたのか、そんな可能性をいとも簡単に潰してしまうかもしれない、差別というものの恐ろしさ。

機械になりたい私は、人の心と機械について、どうも思い入れすぎるのかもしれないけれど、機械は心を持つのか、人間と同じ様に思考するのかと考えたチューリングにとても興味がある。というか勝手に好きだ。
彼がマシンにクリストファーと名前をつけていたこと、そして最後までクリストファーと一緒にいたことは、彼の初恋、誰かと心を通わせたときの喜びを、いつまでもいつまでも求め続けて、それがひとつの大きな原動力になっているからではないかと思う。彼にとって辛かったのは、「クリストファー」という人と一緒にいられなくなること、研究が続けられなくなること、それが境界がなくなるほどのことで、彼にとって本当に大切な、奪われた時には死を選ばざるをえないほどだったものだということ、そんなものに出会えた人がいたこと、それが我々そのあとの時代を生きる人間に大きな影響を与えていること。そんなことがぶわあっときて、泣いちゃうんです。

「時として誰も想像しないような人物が想像できない偉業を成し遂げる」


まあ、ベネちゃんが可愛いっていうのは、もう仕方がないよね。


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