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深澤さんは鎌倉時代でもモテる男だったのかもしれない

 こんにちは。神楽詩音と申します。
 現在同時並行で何個か記事書いているので、どの記事が先に出ているのか分からないのですがこの記事を書き始めたのは4月上旬という事で超久しぶりな感じがします。2,3月はレポートに追われ、その反動でやる気スイッチ突然切れちゃってPC開く元気なくなっちゃったのでこんな時期になりました。渡辺さんの紹介記事も書きたいな…。
 という事で、今回の記事は「深澤さんは鎌倉時代でもモテる男だったのかもしれない」と題しまして、深澤さんの限界(褒めてる)リア恋加減について紹介できればなと思います。

深澤さんはリア恋枠(主観)

 昨年2021年11月に投稿した深澤さん紹介記事にて、私はありえんくらいの文量で深澤さんのリア恋加減について語りました。

 推し方はファンの数だけあるので、あくまで自分の意見ではありますが「(自分がするかは置いといて)深澤担にリア恋が多いのはめちゃくちゃ気持ち分かる」と思っちゃう派です。
 と言うのも、私がスノ担になるまで(嵐オタから一回離れてスノちゃんに出会うまでの間)私は乙女ゲームなどの逆ハーレム系作品のオタクをメインにしていたのですが、深澤さんってそこに出てくるキャラクターの性格の良いとこどり人間なんですよ。

まず大前提として顔がいい、色白、細身、高身長(175㎝あれば世間的には十分なのでは?)、手が綺麗、歌が上手い。加えて面白いし周りのこともよく見てて後輩や先輩との付きあいも得意。大人しいよりはうるさいキャラだけど、ふとした時に儚い表情を見せる。人間としても男性としてもアイドルとしても完璧すぎる人間。それこそが深澤辰哉さんなのです。
疑似恋愛をするのが目的の乙女ゲームですらこんなに設定モリモリのキャラいないのに、現実に存在しちゃうなんてなったらリア恋しないわけがないのよ。

そんな理由で私の中には「深澤さん=乙女ゲームの攻略キャラ」という方程式が存在しているのです。もう設定(ではないけど)盛りすぎて正直深澤さんってこの世に存在してないのでは?と思ってるので、現実と虚妄の境目が曖昧になってくるんですよね。

そうなった結果、多分実際はそんなことないと思うし本人も言ってないけど、恋愛系の小説とかお話を読んでいると「あーこれは深澤さんもやってるわ」とか考えちゃうようになっちゃったんですよね。

そんな時、私が出会ったのが鎌倉時代末期に成立した『徒然草』なのです。

『徒然草』第三段に見る深澤辰哉像

 以前の記事で少しだけお話したのですが、私は現在大学で日本文学を専攻している身でして、親も文学部出身という繋がりから様々な本をオススメされるわけです。
 そんな中でおすすめされた本の内に『謹訳 徒然草』(林望 著)という本がありました。皆さん一度は国語の授業で勉強したことがあると思うのですが、ざっくり説明すると、鎌倉時代末期に成立した随筆で、作者は兼好法師。歌人である兼好が「人生とは」とか「恋愛とは」とか「こうやって生きてる人カッコイイ/ダサいよね」とか書いてる本です。現代で「よし『徒然草』読んでみよう」ってなる人はごく一部だと理解しているので全部読んだことがある人は中々いないと思います(正直私も読み切ってない)が、結構現代でも繋がる部分がある面白い作品です。

 そんな『徒然草』の中に「<第三段>よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、」という段があります。この段を読んだ時、全私が「これ絶対深澤じゃん!!!!!」と思い、皆さんに共有したくてこの記事を書き始めました。

以下該当部分の抜粋です。

原文

万にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なき心地ぞすべき。
露霜にしほたれて、所定めずまどひ歩き、親の諫め、世の謗りをつゝむに心の暇なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜亡きこそをかしけれ。
さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。
引用元(https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure000_049/turedure003.htm

現代語訳(謹訳)
※ルビについては読みづらいと感じた部分のみ記載しました。

よろずの技芸に通暁して人並み外れた能力があったとしても、ただ一つ、「色好み」でないという男は、まことに物足りないことで、たとえて申せば、かの『文選』に「且つ夫れ玉のさかずきそこ無きは、宝といえども用に非ず(また、そもそも宝玉の盃の底が無いものは、それがいかに宝物であろうとも何の用にも立たぬ)」とうてある「底の無い宝玉の盃」のような心地がするというものだ。
 すなわち、露霜に濡れてよれよれになりながらあちらこちらと女のもとへ惑い歩き、親のいさめや世間の非難を思ってはおろおろし、ああしたらよかろうか、いやこうしたらよかろうか、など思い乱れて、しかしその結果として、どこの女のねやにも行かずに独り寝をする夜ばかり多く、展転反側して微睡まどろむことすらできずに恋に心を苦しめている、そんなのが風情ある男というべきであろう。
 いやいや色好みと申しても、ただただ色事に溺れてばかりなんてのではなくて、仕事なども立派にやっているのだが、それでいて「あの方はあれでなかなか隅に置けないのよねえ」と、女たちに思われるというようなのが、男としてぜひこうありたいという姿であろうな。
林望『謹訳 徒然草』
(祥伝社、令和三年十二月十日 初版第一刷発行、24-25頁)

 これだけ見せられても意味分かんないわって方のために超意訳すると、

色んな芸とか能力を持っていても、恋に興味の無い堅物みたいな男は物足りないものだ。
恋のために夜遅くに出かけ朝帰りをして女の元へ通ったり、親の戒めや世間の非難を気にして思い悩んだりするけれど、だからと言って超モテるわけじゃなくて一人で夜寝ることが多くて、上手く寝付けない中恋に心を苦しめている男こそ風情がある。
でも、只々恋に溺れているんじゃなくて、仕事も立派にやっているのに「あの人中々隅に置けないよね」と女性に思われるのが、男としての理想の姿である。
私の超意訳

っていう内容です。

この部分家で読んでたんですが、ついつい叫んじゃったよね。

「「「これ深澤じゃん!!!!!!」」」

って。

私の虚妄タイム

 ここから筆者の虚妄タイムに入ります。苦手な方はブラウザバック、または次項まで飛ばしてください。





 朝帰りとか親の戒めとかは時代が違うし、そこまで深追いするつもりもないので置いときますが、アイドルっていう仕事上オープンな恋愛は出来ないじゃないですか。
 その部分が

どこの女のねやにも行かずに独り寝をする夜ばかり多く
林望『謹訳 徒然草』

と繋がるなとまず思ったわけです。

 しかし深澤さんは様々な媒体で言っているとおり、しっかりめに結婚願望あって子供が欲しいとも言っているわけです。その部分は

恋に心を苦しめている
林望『謹訳 徒然草』

につなげられると思いません?

 いやこの二か所がかなり無理やりなのはわかっているんですが、本番はここから、

いやいや色好みと申しても、ただただ色事に溺れてばかりなんてのではなくて、仕事なども立派にやっているのだが、それでいて「あの方はあれでなかなか隅に置けないのよねえ」と、女たちに思われるというようなのが、男としてぜひこうありたいという姿であろうな。
林望『謹訳 徒然草』

この部分めちゃくちゃ深澤さんじゃないですか?!?!

子ども欲しいとか、結婚したいとか色々言って浮かれているように見えがちだけど、実際はそうじゃなくてアイドルとしての仕事も期待のはるか上を行く最高の仕上がりで提供してくれるじゃないですか。そういう所にファンやオタクたちは「ふっかのそういう所がリアコで、ついつい目が行っちゃうのよね。隅に置けないわ」ってなってるんだと思うんですが。

この部分めちゃくちゃ深澤さんと繋がりません?????









深澤さんは鎌倉時代のイケメン(?)

正直、「ふっかさんとのつながりを感じる」というより「鎌倉時代でも現代でいうリアコがイケメンとされてた」って言う話なんですが、
『深澤辰哉=現代のリアコ』
『現代のリアコ=鎌倉時代のイケメン』
つまり『深澤辰哉=鎌倉時代のイケメン』
という経緯で、この方程式は成り立っていると思うんですよね。Q.E.D.ってやつ。

このことを誰かに伝えたくて、自分の中で文章化したくて2ヶ月ぶりにPC開きました。ほんとに私の自己満足なので最後まで読んでくれてる人は多分いないだろうな…。もし読んでくださった方いらっしゃいましたら、金一封は差し上げられないけど私からのBIG LOVEはお送りします。

古典って意外と現代と繋がる部分あるよ

 とまあここまで色々書いてきたわけですが、ここからちょっと布教タイム。
 私は今回紹介した『徒然草』に始まり、古典文学が好きな女な訳です(中でも平安女流文学が一番好き)。
 でも古典ってそれこそ文学部にいる人とか本当に好きな人しか中々読まないものだし、学校の授業でも物理に並んで嫌いな生徒が多いとかいうのも聞いたことがあります。
 確かに読みづらいし、実生活で必要になるような知識は殆ど無いので「高校の授業でやる必要ないじゃん」って思われがちです。
 でも色んな作品を読んでいると、今回の『徒然草』のように自分の生活との共通点を見つけられたり、「この話、私もめっちゃ分かる!」みたいな共感を得られたりすることもあるんです。私はその瞬間が大好きで古典作品が好きになりました。そして古典を読む・学ぶってそういう共感を得ること、他者の考えを知ることだと思うんですよね。

 だからと言って「古典作品絶対読んで!」と押し付けたい訳ではなく、こういう楽しみ方もあるよ、こういう風に考えれば学校の授業もちょっとは楽しくない?って、それこそ共感したいんです。いや共感まで行かなくとも、「こういう考えする人もいるんだ」ってことを知ってほしいの。
 本心としては是非読んで欲しいと思っているので、もし興味がある方は今回紹介した林望さんの著書のように謹訳されたものや、原文と現代語訳が併記されている本の現代語訳部分だけ読んでみるとか。古語全く分からなくても楽しみ方は沢山あるので、是非!皆さんも古典の世界に一歩足を踏み入れて欲しいなと思うわけです。

 そして同時に深澤さんに鎌倉時代のイケメンとの共通点が見つかったってことで、深澤さんに和服着せてください!!!偉い人!!!お願いします!!!絶対似合うから!オタクたちが保証するから!どうするこれで来月のduet深澤さんのソロ表紙が和服だったら。死んじゃうよね。でもバチバチの黒スーツやパステルカラーの可愛さ大爆発なカジュアルコーデでも優勝確定ガチャなので正直なんでもいいです。何が来ても優勝です。

 という事で、以上神楽詩音でした。次こそは渡辺さん紹介記事書くぞ!

追記


今回引用させていただいた林望さんの『謹訳 徒然草』のAmazonページのリンクを貼っておきます。林望さんの本何冊か読んでいて、めちゃくちゃ分かりやすい上に読みやすいのでオススメです。中世苦手な女だけど、林望さんの本だったら読めちゃう。