自分のために生きてみる
人生22年目、自分について発見したことがあります。
私は22年間自分の人生を生きていたつもりで、いつも自分の人生が他人軸だったことを知りました。どの場面を振り返っても、他人のために自分の在り方を決めていました。
例えば、高校時代の部活ではチームにどのキャラクターや役割が足りていないかを考えて自分をつくりました。
例えば、大学時代の学校ボランティアでは生徒や先生方のために自分の時間をとことん費やしました。
これは決して苦しいことではありませんでした。むしろ、状況に応じて必要な役割に徹することができる、利他的であることは自分の強みだと感じています。
4月から始まる先生の仕事も、みんなのやってみたいやこうなりたいをサポートすることを職にしたいと思ったことが大きな理由です。
他人のために自分が価値ある働きをすることは悪いことではありませんし、先生として今後も大事にしていきたい価値観です。
でも、しばらくは自分のために生きてみることにしました。
今まで他人に尽くすことに情熱を持ってきた人生ですから、もれなく恩義も感じまくります。
というのも、4月から先生として働く雇用形態では自分のやりたいことができず、しかし、ずっとお世話になっている学校、先生方なので条件をのむしかない、、、こんな感じ。
この問題は感じすぎてしまう恩義とはじめからやりたいことばかりできるわけなかろう!って気持ちだと思うんです。
いつもの他人軸思考です。
もし、条件をのまなかったら恩を仇で返すことになる。他の人が大変になる。
たしかにそうだけど
「自分の仕事の代わりはいるけど、自分自身の代わりはいないよ」
ビックリしました。フワフワの実食べたかなってくらい心が軽くなった。当たり前だけど、あまり知ってる人が少ないこと。ゼミの先生が教えてくれました。
私のゼミの先生は、自分のやりたいことに思い切りがいい人で、自分を生きている人です。
私もそんな生き方がしてみたいと思いました。
先生以外の道は真っ暗で何も見えないけど、高校生の頃とは違って怖さはなく、大変さも含めて楽しめるような気がしています。
新型コロナウイルスのおかげで教員採用試験二次試験が辞退になり、与えられた1年間の猶予期間を大事に使いたい。
この先の人生、誰のために生きますか?
他人のために生きることも、自分のために生きることも
「全部正解」です。
ゼミの先生が言ってたこの言葉の真意は分かりませんが、どんな道でも正解にできるってことじゃないかなって。
だから、しばらくは自分のために生きてみることにします。
おわり。
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