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コンテンツ力を考える

noteを始めて、ここにきてまた、自分のコンテンツ力について考えるわけです。
実はですね、それを考え始めた理由の一つに、友人のLINEライブを見たことが一つにあります。彼女地方タレントしているんですけど、まあ可愛いんですよ。私も好きな顔なんですけれども。でも、正直、配信している内容は面白いかというとコンテンツとしてたいして面白くないわけですよ。もっとも、彼女のことを私は知っているので、「知り合いが話すコンテンツ」という面白さはあるのですが。良く知らない人より、知っている人の話は楽しいものじゃないですか。
コンテンツとしては私の方が面白いことできるのになぁと思って、これなら私でも、何か配信・発信できるかもと思ったんですね。

ただ、彼女の容姿の可愛さ自体がコンテンツなわけで、それを文章に落とし込むとなると話は別です。完全なる趣味なのに、なんでこんなめんどくさく考えちゃうんだろうと自分が嫌になるのですね。

でも、こうやっていやになって自己否定するのも、ある種の自己逃避で。
結局のところ、全てにおいて、自分に自信がないから、自己否定していた方が楽なんですよね。自己研鑽より自己逃避の方が確実に楽ですもの。
20代後半にもなって、「山月記」の李徴のように、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」をくすぶらせているわけです。

肩肘はらずに、生きていける人になりたいのだけれど、なかなか難しいですね。いっつも意味性を考えてしまう。ディズニーの『プーと大人になった僕』という映画にあった、「“何もしない”は、最高の何かにつながるんだ」のように、何もしないことを頑張るというか、もっと軽やかに生きられればなと思う紫苑でした。
何が言いたいかというと、私により必要なのは、構成力も、雑談力もなのかなと思ったので……。

めんどくさい人間ですみません(笑)


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