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夢を言うことが怖かった

小学生の時から、自分の夢を人に言うことが苦手だった。

いつだったか覚えていないけど、小学校3年生くらいから学校の先生になることが夢だった。

給食を一生食べたかったから、学校が好きだったら、こんな理由だったけど、なぜかこの夢のおかげで勉強を頑張れた。

でも、高校生になるまで、ほとんど言ったことがなかった。

なんなら大学生になるまで、大きな声で言ったことはなかった。

教育学部に行きたいと高校2年生のときに言うまで、親も知らなかった。

ずっと将来はダンサーになりたいと言いながら、ダンスの練習をしてた。

小学生までは、ダンサーか先生どっちがいいかなってぼんやり考えてたけど、中学生になるころには、社会の先生がいいって思ってた。


ただ、高校生になるまで、教師という夢を口にするのをダサいと思ってた。

サッカー選手とか野球選手とか、そういう夢を本気で追いかけている人はすごくかっこよかった。それのために毎日練習して、どろどろになって、かっこいいと思ってた。キラキラしてた。

でも、教師ってなんでかしらないけど、あぁそうゆう感じなんだ・・・みたいになる。

勉強を頑張ることがダサいみたいな雰囲気。そして、それに流されていた。

学校の先生になりたいって言う友達に、へー真面目だね。と言ってた。

テスト前に限らず勉強はしてたし、読書も好きだった。

でも、たぶん今知っている言葉で表現するなら陽キャでいつづけたかったんだと思う。

このころ、真面目だと思われたくなかった。

真面目だねっていう言葉は、人を侮辱する言葉の一つだと考えていた。

中学生の時、給食をおかわりして、晴れの日も雨の日も外でどろどろになって遊んでた。毎日楽しかった。
でも、図書館でひとりで本を読みたい日もあった。

なんとなくできなかった。

誰かをいじめるっていう友達じゃなかったことは分かってたけど、輪から外れることが怖くて、みんなと同じことをしてた。

本を読む真面目な人っていうレッテルを貼られたくなかった。

帰り際に図書館に寄って本をこっそり借りて、家で読んだ。

図書館とかで友達と勉強をしないで、家でひとりで勉強してた。

真面目に勉強してるところを見られたくなかった。

なんでかしらないけど、恥ずかしいと思ってた。


だから、教師になりたいなんて言えなかった。


でも、夢を持つことって絶対にかっこいいって心から思ってた。自分は人に言わないくせに、色んな人に夢を聞くことが好きだった。

中学校の卒業文集に、クラスで2ページくらい与えられて自由に使っていいページがあったから、そこに担任のプロフィールを作った。

もちろん、夢は?って聞いた。

いつも大人の人に聞くと、大体もう大人だからないよとか、子どもがちゃんと成長することとか、教えてくれないだけかもしれないけど、自分の夢を持つ人はいなかった。

でも、担任の先生は、将来、喫茶店を開きたいって言ってた。

かっこよかった。

それ、絶対に行くねって言った。

定年退職してからだから、まだ何もしてないけどってちょっと恥ずかしそうに言ってる先生は、たばこ臭くて髪の毛ぼさぼさでひげを剃り忘れたままだっただけどかっこよかった。

嬉しそうに夢を語る先生は、目がきらきらしててかっこよかった。

あぁ夢を語るってかっこいいなって思った。

先生は夢を叶えることなくいなくなってしまったけど、自分に大きなものを残してくれた。

夢を応援するっていう夢をくれた。


それから高校生になって、周りに教師になりたいと言う人がいた。

それいいね。

自分の夢を語ることはできなかったけど、人の夢を応援することはできるようになった。

そんな雰囲気で過ごした高校生活は、自分の人生最大のターニングポイントになり、気がついたら自分も友達に夢を語っていた。


夢を語るって、現実的じゃないことも、人に理解されないこともある。

でも、それはそれでいいと思う。

だって、夢は自分だけのものだから。

だから、夢を語り、それに向かって走っている人を応援したい。

それが大きくたって叶わなそうだからって、他人に否定する権利なんてない。

そして、世界中のみんなが人の夢を応援できて、背中を押せる人になれたらいいな。

旅に行く人を危ないと言って引き留めたり、危険な思いをさせたりする人がみんな応援できるようになってほしい。

そして、そんな人がいても、気にしないで一歩進んでもらいたい。

案外、雰囲気で流されてできちゃうこともある。


もうすぐリリースされるSHINEを思ってこんなこと書いてみた。

9月15日。わくわく。

おわり。



サポートしてもらったことないから、してほしいな