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これだけ情報が増えているのになぜ思考は偏りやすいのか

インターネットでこれだけ情報が増えたのに間違った選択をしたり道に迷ってしまう人が減らない気がするのはなぜ?ということを考えてみたいと思います。

私は正しい予防医療を広めることを目的に活動している予防医療普及協会という一般社団法人で(本当に微力なのですが)はたらいてます。

先日、協会が企画した対談でアラバマ大学バーミンガム校の大須賀覚先生が心が弱っていると強い言葉に惹かれてしまうという趣旨のコメントをされていました。

とくにがん領域では、自分や大切な家族の命の危機においてどのような治療を選択しどのように生きるのかとか死と向き合うのかとか、紋切り型の答えがない選択が迫られます。

医学は発展しているものの、個体差のある一人ひとりについて100%断言できるような精度の治療はありません。ですのでどれだけ勉強している医療者でも、ある程度含みを持たせた表現になってしまいます。

一方そのような状況において相手にとって耳ざわりのよい言葉とか、強い言葉で断言するような人に引っ張られてしまうというのが良くあるパターンなようです。

大須賀先生は、標準治療にたどり着けない無数の研究の上に立っている医療保険制度下で受けられる標準治療をトップアスリートに例えて表現しており、詳しくは以下の書籍に記載されています。


常識を疑う力

先日、カケミチラジオのなかで金子書房代表の金子さんが「吊り橋効果は疑わしい」といった興味深い発言をしていました。

吊り橋効果というのは、恋心のない相手と一緒に吊り橋を渡ったとき高い場所を歩くドキドキ感を恋と混同してしまうというとても有名な理論ですよね。

吊り橋効果の発展形として、彼女と映画を観に行くときはラブロマンスではなくホラー映画にしろなんてことが昔Hot-Dog PRESSに書いてあったようななかったような笑

どういうことかと言うと、吊り橋効果を報告した論文の研究では10名強の被験者かつ、恋とはかけ離れた評価方法であったとのことでした。

この研究が無意味だということではなく、実験自体がとても有名になり拡大解釈された結果、事実とは異なる(かもしれない)情報が「常識」となってしまる危険があると知ることが大切だなと。


タイムライン最適化の罠

さらに最近ではYouTubeやTwitterのタイムラインなどがAIを駆使して各々の好みに合わせた情報を提示するシステムを取り入れています。実はGoogle検索や広告もですよね。

そして一度みた情報がログとして残り、その情報に近いものが次々と目の前に表示されることになります。

例えば先日夜中に「指一本触らずに治す!○○療法!」みたいなトンデモ系広告が疲れた私の心にフィットしニヤニヤしながら見続けるという奇行をした結果、いま私のPCではそっち系の広告が表示されつづける痛い状況になっています。

上記は分かりやすいものですが、通常はもっと自然に自分の情報や考え方のパターンが誘導されていってしまいます。それぞれがガラパゴス化しやすい世界のように思います。


まとめ

自分に言い聞かせるようにまとめたものですが、

・心が弱っているときは耳ざわりの良い言葉に気を付ける
・常識と真実は必ずしも一致しない
・タイムラインに思考パターンを誘導されるリスクを認識する

あたりが大切なのではないかと思いました!


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