おもむろに語ります
ニーアオートマタの冒頭の2Bさんのナレーションの一部分
「生と死を繰り返す螺旋に 私達は囚われ続けている」
という台詞が好きです。
理由を箇条書きします。
言い回しがかっこいい
「なぜ何もないのではなく何かがあるのか」のような、たった一つの問いだけでスルメのようにさまざまな角度から考察して遊べてしまう深みがある
この一節が、このゲームをよく表しているように感じられる
メタ的に、このゲームを好きでやり込むという行為にも、生と死の要素から逃れられないゲームプレイヤーの性を感じられる(そもそもゲームというものが、敵をちぎっては投げて一区切りついたらまたNewGameする性質)
ゲームとか関係なく、そもそもリアルの人類も、この螺旋に囚われ続けている(とらわれているというか、現状の物理法則の中に生命として生まれたら逃れられない真理的な部分を悲観的に見ている)
ストーリー的に、Eエンドを迎えたとき、完全な繰り返しではないものの巻き戻しが発生するのも結局、螺旋の中のまま……というのを表しているというか。人間的な希望的行動がそれを選択させるという、ある意味での虚しさも含め、知的生命体である限り囚われ続けてしまうのを皮肉っているような。
この螺旋から抜け出したときどうなるのか、よくわからないところ。命を持った生物であること、生きることから抜け出さないといけないのだけど、いわゆる霊体とかなんらかの神的な存在に成り得たとして、螺旋に囚われているよりよっぽどいいのかどうか。(生きていないのに意識が続いている状態を仮定しているけどそれってなんだかよくわからない)
そういえば。
……考えてもわからないことに時間を割くのは無駄、とも、2Bさん言っていましたね。このセリフも好きです。
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