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前縁より向こう、山の向こうの話

先日のSNS医療のカタチ、やさしい医療のなかで、ヤンデル先生(市原医師)のお話が、心に響いた。

そのお話は、病理医にとっても「死」は山の向こうのことで、知ることはできない。(要約しすぎ)という内容だった。

それは病を得たばかりの患者にとっても同じことで、今の時代はネットで調べることはできるけれど、じゃあ自分の得た病がこれからどんなふうに治療をして、治るのか治らないのか、どんなふうに進行するのか、これは全く山の向こうの話だ。わからない。

優しい医療の、あのおかざき先生と飛鷹師、ヤンデル先生のセッションの中で、飛鷹師は(というか僧侶という存在は)私達の知らない山の向こうへ安心して行けるように道をつけてくれているように感じていた。

そして医師という存在は、病という山の向こうへの道を調べて、山の向こうに無数に伸びる道で、どこに進むべきかを示してくれているように感じる。手を取って、一緒に歩いてくれている。

病理の先生は、調べた検体から、この先を病を乗り越えて生きるための地図を書いてくれているのだろうと。

そう思ったら、山の向こうにも踏み出せそうな気がする。

ずっとね、怖くて仕方がなかったのです。
病気の存在がわかって、一ヶ月かけて検査して、ずっとずっと怖い、恐怖の中にいた。
でも、主治医の先生が一緒に歩いてくれる。その道の地図は病理の先生が、検査に関わった先生方が書いてくださっている。パートナーも、自分も不安になりながらも私を支えてくれている。

こんなにありがたいことって、ない。
心の底からありがとうございます。です。

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