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卵が先か鶏が先か親子丼が先か

卵は鶏から生まれる鶏は親子丼で成体になる。そして親子丼は卵と鶏から生まれる。

今読んでいただいたのは、疑問を持つまでもないよく知られた普遍的なこの世界のただ一つの真理だ。しかし、この一見自明に見える文章は大きなパラドックスを含んでいる。そしてこの定理が否定されたとき(または意味をなさなくなったとき)、秩序よい世界は丁寧に積み上げられたジェンガの土台を抜くがごとくバラバラに音を立て崩れ行くだろう。

この世界から卵が消えたとする――鶏は生まれないし親子丼も生まれない。親子丼が生まれないとどうなる?知らんのか、雛の成長は止まり束の間のニワトリ・ピーター・パンが発生し、卵・鶏・親子丼の循環系が完全に停止する。

しかしこれで世界が崩れることはない。ただ世界から卵・鶏・親子丼が消え、料理の幅が狭まるだけだ。生態系は多少崩れるかもしれないが、世界の崩壊と比較すれば、些細な問題にすらならない。

問題は、冒頭の定理が間違いであると証明されたときだ。それが証明され、ホモサピエンスが正しいと了解することは、いわば巨大な亀を殺す行為である、と言いたいがこの表現は少々不正確である。実際には、更にマクロに、より抽象的に、宇宙空間は瓦解を始める。プラズマは発散し、光は消え、また無から生じる。各天体は割れ、膨張し、融解する。無機物が蠢き、生物は無音の鐘を鳴らす。言うまでもなくそこには卵も、鶏も、親子丼もない。存在する意義がなく、あったとしてもそれは形を持たないミミックか、明滅する概念である。

――卵は鶏から生まれる鶏は親子丼で成体になる。そして親子丼は卵と鶏から生まれる。

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