好きなものをタスクと課すか、否か

好きなものをタスクと課すか、否か

物事を決めるのが苦手だ。
というより、趣味で時間や期間を決めるのが得意ではない。創作についても書いたら見てもらいたいので半タスクという感じではあるが、本当なら半永久的にサボりながら書き続けたいところである。
社会人になってから、自分のために取れる時間というものは減った。決まった期間の決まったタスクがあるため、休日くらいはなにも決めずに過ごしたい。「なにかをしよう」と思った時点で、計画なのだ。

わたしは、映画やドラマが好きだ。漫画も小説も言わずもがな好きだ。ゲームの実況や、YouTuberやら拝見拝聴するのだが、いかんせん追っているコンテンツが多すぎる。見るためには、どうしてもタスクを決めなければならない。「これみよ♩」なんて軽い気持ちを起こすことすら億劫である。鬱かな?

仕事であれこれとやることを先回りして決めなければならないが、趣味はそうでなくて良い。だからこそ、計画を立てたくはない。だが、計画をしなければ始めることすらできない。ジレンマである。

なぜタスクが嫌かというと、「義務」が生まれてしまうからだ。趣味に義務などいらない。好きでやっているのだ。料理も、読書も、実況も映画も。例えば「一週間で一冊」と、決めたのなら、最初は楽しくできていたものの、いつしか気を張って「タスクの遂行」が目的になってしまう。そう気づいたとき、どっと疲れが押し寄せ、虚無になってしまう。
明るくシャキシャキとしている人は、こんなことに悩んだりしないのだろうか。
そもそも計画を立てることを楽しんでいるような気もする。強い。

無計画は良くないとも思う。いいのだけど。
目的のない散歩は、場所によっては不審者になるので大変である。
適当なカフェに入って、適当に時間を過ごし、適当に歩きまくる、などと、楽しいものである。だが、目的がない分、周りの目的があるだろう人々が眩しく見える。あの人たちは、行きたい場所、一緒に行きたい人がいる。素敵だと思う。健全で眩しい。

見たい映画と実況が溜まっている。小説が書きたい。絵が描きたい。
一週間くらい休みが欲しい。
生活の余裕が欲しい。七時に起きて、二十二時に寝たい。 間の時間はもちろん全部趣味のためである。

人間がみんな、全てに余裕が持てるようになれば豊かになるだろうか。豊かとはなんだろうか。こういうことを考えるのは、私のタスクではない。だから、こうやって延々考えられるのだ。ここにタスクはなく、際限もない。タスクとしてくれている人は、ものすごく大変なのだろう。お疲れ様です。
せめて私もタスクとしたものは頑張りたい。今日も明日も仕事を家事を、頑張るしかないのだ。

今回はここまで。

#しおの雑文庫 #エッセイ

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