あそこにベンツが停まっていますねから始まるBL 2

あそベン2

 広い。高級なにおいがするミスト。応接間でも座ったことのない質のいい革のソファー。流石にドラマで見たような果物はなかったが、高瀬の足元にワインの瓶の影が見えた。
 高橋は目ばかりを忙しく動かす。どこに行くのかもまるで尋ねる暇もなく成り行きで乗りこんだリムジンは、一体どこへ向かうのだろう。
「……あの、すごい、ですね……」
「リムジン?」
「はじめて、乗りました……」
 恐縮しきる高橋に、向かい合う高瀬は小さく微笑んだ。
「もっとゆったりしてくださいよ。せっかく広いんだから」
 大股を開き、高瀬は背もたれに身体を沈める。容姿だけで言えば借金取りだ。
「あの、もしかして、親の車って……高瀬さん、お金持ち……」
「ああ、まあ……」
 はあ、と高橋は震えるため息をついた。まだドッキリを味わっている気分だ。
「改めて、高瀬咲一朗す」
 ちょんと差し出された無骨な右手に、恐る恐る触れる。握手をすると、手汗の存在が浮き彫りになり、しまったと高橋は思った。
「あ、えっと、高橋いたる、です」
 いたる、と高瀬は繰り返し、まじまじと高橋の顔を見つめた。こうして真っ直ぐ目を見ると、眼鏡の奥で綺麗なアーモンド型をしている。
「暢くんって呼んでいい?」
「あ、はい、どうぞ」
 高橋がこくこくと頷くと、高瀬はにんまりと歯を見せて笑った。気怠さがある分、その親しみをこめた笑みでも不気味だった。
 身体を折り曲げ、ずいと高瀬は身を寄せた。特に何を言うでもなく、ただじっと高橋の顔を見る。
「あの……どこに、行くんでしょう」
 耐えきれず高橋は視線をそらし、窓の外に目を向けた。夜であるためよく見えない。
「どこに行きましょうか。食べたいものは?」
「は、ええ、と、その……」
 高橋はだらだらと汗をかきながら、さらに目を泳がせた。ファミレスで充分、と言いたい。このままでは延々とリムジンを走らせる羽目になる。そもそも、この高級車に見合う場所が全く思いつかないうえ、そんな場所の食事代など、ワインすら厳しい。
「あ、あの……ハンバーガーとか、食べたくないですか」
 いっそ呆れて降ろしてくれ。高橋は身を縮め、視線だけで高瀬を窺った。
「いいですね」
 高瀬は存外あっさりとそう言い放ち、運転手に場所を指示した。彼も、チェーン店に行くのだろうか。だとしてもリムジンを停めるには忍びない。まるで彼の目的がわからない。
「あの……高瀬さんは、なぜ、うちの会社に……?」
 呆然とし、おずおずと尋ねた。高瀬は少し考えて、背もたれにぼすんと身体を預けた。
「俺は、人質みたいなもんです」
「ひ……人質?」
 煙草を取り出し、高瀬は慣れた手つきで吸い始めた。
「父親が親会社の社長なんですよ。ここの」
 社員証をつまみ、ぶらんと見せた。はあ、といまいち実感が持てない。ただ研修で知った、親会社の社長の名前は「タカセ」だったと思い出した。
「うちの社長と旧知の仲らしくて。さすがに息子がいる子会社は潰せないでしょ。だから、人質」
「なるほど」
 高橋は浅く頷いた。頷いていいものかわからなかったが、あまりにも日常と離れていて、そうすることしか出来なかった。
「お、お父さん、とは、仲悪いんですか?」
「いや、至って良好です」
「はあ」
 けろっとして高瀬はいうもので、本当なのだろうと思った。苦々しく自分のことを「人質」だというものだから、てっきり嫌っているものかと思った。
 ところで先程から、黄色く光る「M」の文字も、赤く光る「M」の文字もいくつも通り過ぎている。一体どこのハンバーガーショップに行くつもりなのだろう。高橋は首を捻りながら、不安げに高瀬の顔を窺った。
 高瀬は目があうたび、笑みを返す。初対面時の無愛想ぶりが嘘のように思える。
「暢くんは何階?」
「四階にいます」
「俺は六階」
 高瀬は脚を組み、窓の外を見た。ネオンに照らされ、くっきりと横顔のシルエットを映す。きっと身だしなみを整えれば、彼はもっと、かっこいいのだろう。
 どきりとして、高橋はその横顔を見つめ、慌てて視線を下げた。
「……何で、僕を、ご飯に誘ってくれたんですか?」
「うーん」
 高瀬は視線をよこし、少し考えた。
「俺に優しそうだったから」
「はあ」
 高橋は目を瞬かせた。いまいち彼のことを掴みきれない。
「仲良くしましょう。俺も君に優しくする」
 高瀬は、ね、と脚を伸ばし、高橋の足首を絡ませた。
 驚いて、動けない。高橋は視線を上下させ、小さく息を飲んだ。
 車のスピードが緩まった。
「降りましょう」
 高橋の肩を軽く叩き、リムジンのドアを開ける。
 ビル風が吹き抜け、汗が冷えた。強い風に目を瞬かせ、高橋は首を上げる。
「ここは」
「ハンバーガーが食べれるところ」
 悠々と高層ビルに向かう高瀬を呆然と見つめ、高橋はただついていくしかなかった。
 小さなシャンデリアがあるエレベーターは、上下音のしないもので、あっという間に最上階まで登る。黒いタイを締めたスマートなウエイターの案内で、あれよあれよと窓際の夜景の美しい席に案内された。
「どうぞ、座って」
 高瀬に椅子を示され、高橋挙動不審のままぎこちなく腰を下ろした。
 ウエイターから渡された高級そうなメニューをこわごわ開くと、確かにそこにはハンバーガーがあった。
 高級なフレンチレベルの値段で、銀のナイフで貫かれた、飾り気のあるハンバーガーだった。
「あの、ここ……って」
「ハンバーガー専門店。珍しいです?」
 高瀬はにっと笑った。高橋は引きつった顔を見せた。
 住む世界が違いすぎる。目眩がする。高橋はメニューに目を落とし、まじまじとゼロの数を数えた。
「…………違った、か、な」
 顔をあげると、高瀬が少し涙袋を歪めていた。
「いえ、なんというか……来たことがなくて、なんとも。でも、こんなところ、なかなか来れないから新鮮です」
 高橋は取り繕うように笑うと、高瀬は少し目を見開き、溜息をついて頰を緩めた。
「よかった。他には。ワインとか、ビールとか。ポテトもありますけど」
 高瀬は襟首を緩め、しきりにあたりを見渡した。その笑顔がどこか強張っている。
 ああ、この人は。
 わからないだけなのか。
 高橋は彼の表情を知っていた。この人は、戸惑っている。
 世界が苦手なんだ、と思った。多分、自分と同じで。
「高瀬さん。僕、嬉しいですよ」
 高橋は笑った。
「そら、よかった。気に入らないなら二軒目でもいくらでも」
 少し顔を伏せ、曖昧な笑みを見せた。
「一緒にご飯が食べられて、嬉しいんです」
 そう言うと、「え、」と止まり、目を見開いた。
「なんて、僕、こういうところ、馴染みがなくて、緊張してて」
 髪を掻き、肩をすくめる。
「だから今度は、僕がおすすめの場所に連れてかせてください。徒歩だし、駅近のラーメンですけど」
 逆に失礼かもしれない。釣り合いなどまるで取れないが、礼として、「好き」を差し出すしかなかった。
「…………」
 高瀬は押し黙り、口元を覆って深刻に考えこんでいた。
「高瀬さん?」
「……今まで、こういうことでしか友達、ができた経験しかなくて。あんた、本当に……なんというか」
 また押し黙る。耳が少し赤い。高橋は小さく笑った。不器用な人なのだ。
 高瀬は黙ったまま、横長の紙を一枚差し出した。
「何ですかこ……………小切手……?」
「好きな金額書いてください」
 顔を背けたまま高瀬は言った。
「いやいやいやいやちょっと待ってください」
 高橋は高速で首を横に振った。高瀬の背け、手で隠された顔に赤さが見える。
「こ、こういう時どう……どうしたらいいかわからないから……」
「嬉しいでいいんですよ普通に!」
 慌てる高橋をよそに、高瀬は深く溜息をついて、胸を押さえていた。
「何か他に……欲しいものありません? ベンツとか……土地とか……」
「極端すぎるこの人!」
 高橋は椅子の上にうずくまる勢いで悶える高瀬を見て、呆気に取られた。近所の大きなシベリアンハスキーを思い出し、脱力し、緩んだ唇から溜息が漏れた。
「……お父さんが子会社に置いた理由、わかった気がします……」
 世間知らずの友人を見つめ、高橋は知らず、柔らかな笑みが漏れた。

#小説 #BL

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