スマホと異論はない、ということ

スマホと異論はない、ということ

スマートフォンと親しんで四年、五年になろうとしている。
わたしは高校時代、今や口にするのも化石、ガラケーだった。正直、電話だけなら事足りると思っていたし、親がそれほどハイテクな人間ではなかった。身近な人間が使っていなければ、必要性は見えてこないのだ。
大学ではサークルの宣伝のため、ツイッターをいつでもできる環境にある必要があった。それ以上に、「TRPG」というものにはまり、さらにニコニコ動画という文化にどっぷりと浸かってしまった。大学生にして遅すぎたネット開国を迎えたのである。
スマートフォンから動画も見れるし、画面大きいし、オセロ以外もゲームができるし……とにかく便利でならないのだ。
現にいまこの文章を書いているのもスマートフォンからである。
とはいえ自分が知っている便利な機能もまだ一部でしかないだろう。全てを使いこなせるようになってしまったら、わたしはとんだハイテク人間であるし、機種変に機種変を重ねまくっていると思う。二台持ちとか、それ以上もありえたかもしれない。
新しいこと、懐かしいことに優劣をつける必要はないが、新しくなっていくことに異論はない。どうあがいても、わたしたちは年を重ねるごとに置いていかれる。台風の進行のように、予測できても追いつくことは難しい。多くの人は台風と並走などと考えず、家に引きこもるだろう。そうしてこんなことがあったのだ、と足跡を見て思うのだ。
昔、大型の台風が来た時、地元が台風の目に入ったことがある。
どんな災害が来てしまうのか、不安であったのだが、わたしの地域は晴れていた。青空だった。自宅待機を命ぜられながら、強い日差しを見ていた。
飛び込んでしまえば、新しいことも懐かしいことも、なんでもないのかもしれない。郷に入っては郷に従えというが、勝手に馴染めるのかもしれない。
TRPGも、小説を書くことも、ネットで発信することも。わたしは全てが初めてだった時期があるのだ。この世は初めてばかりだ。それを、いつ、経験することになるか、いつからしていたか、いつ、したことがあるか。そんなちょっとした時間軸のズレでしかない。
わたしのスマホはふるい。けれどしっかり動いている。最先端の時期があった。わたしたちは置いていかれている。けれど、それで構わない。また変わりたいと思う時、考えようと思う。

今回はここまで。
#しおの雑文庫 #エッセイ

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