不老不死と少女

不老不死と少女

みんな大好きなやつじゃん。不老不死と少女。少女が不老不死でもいいし、不老不死の存在と少女という限定の永遠の存在。どちらも好きなやつ。
永遠の少女、いてほしいな。アンチエイジングでも、実際に不老不死でもなく、概念として「あの子は少女だった」という、記憶に鮮明に焼きついている在りし日というもの、わたしは人の思い出の中にある少女を超える少女はいないと思う。
現実の少女は美しい。勝るものはない。あの若々しさと、無知と、貪欲さ、何物を恐れないませた少女たち。その全てを、わたしは見届けることはできない。駅で、街で、すれ違う、その一瞬に驚かされる。だから思い出の中でその少女は少女のままである。
不老不死というもの、現実は近づきつつあるのだろうか。アンチエイジングや延命治療など技術も発展してきているが、「不老」が言われていると言うことは、求めているのは殆どが若者ではないことが確かではないか。
老いたくはないが、永く生きたいわけでもない。若いうちは正直、そう思ってしまう。永く太く生きようと意志があるひとは、どれだけ先の未来を見ているのだろう。そのエネルギーが羨ましい。
少女の姿で不老不死など、「早く死にたい」が永遠に続くだけではないか。早く悟らなければ。生き仏にならなければ。だから幼老女は達観しているのか。
そう思うと、一度くらいは不老不死を経験してみたい。一度でいいが、一度なったらもう死ねないのだろうか。難しいなあ。
不老不死とは寂しいだろうな。
とはいえ、みんな不老不死になったら代わり映えのない日々が続くだけなのだろうけど……とも思う。不老不死になったらみんな不眠不休で働けるからめちゃくちゃ働かせられるのでは……?不老不死になったとて、最低限の水準の生活は守られたい。ていうか、不老不死ってめちゃめちゃ虐げられるのではないか……?「どうせ死なないでしょ」とか、もう霞を食って生きていると思われたり、マジで人権がなくなりそうな気がしている。人間は突出すると、畏怖か、排他だ。
上手いこと突き出ねば、受け入れられない。
飛び出た釘は避けるだろう。うまく花として咲かねばならない。
しかし不老不死になれば、そんな人間すら愛せるのだろうか。恨むのだろうか。ひとはなぜ、不老不死になりたいのだろう。
みんなクマムシになればいいのに。

今回はここまで。
#しおの雑文庫 #エッセイ

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