ラーメンと嫁に来ないか

ラーメンと嫁に来ないか

なんで入れたかも忘れた嫁に来ないかという題。
「」で区切らないとなんというか、ラーメンと共に嫁入りを要求されている感じがするな。ラーメンの丼が嫁入り道具……?
しかし、袋ラーメンって結構嬉しい。
子供のころ、カップラーメンではなく袋ラーメンが昼食で出た時は嬉しかった。単に丼に盛ったものだが、チープながら、カップラーメンよりも豪華な気がした。
わたしの家は昔蕎麦屋で、山形の蕎麦屋には必ずラーメンがある。小さい頃はうちのラーメンがあったのだが、祖父母が引退してからは、もっぱらカップラーメンと袋ラーメンだ。どちらも好きだった。

なぜ祖父母が結婚したのか、そのあたりの話はあまり聞いていない。聞いたのかもしれないが、忘れてしまった。二人の若い頃の写真を見たことがある。面影がありなが、やっぱり「若い」のだ。見慣れた姿とは違う、背筋の伸びた、黒髪のふたり。同じ人物なのだ、と不思議になる。
祖母は、とにかく礼儀というか、しつけをしっかりする人だ。子供の頃、お客様がいると、いつも正座で挨拶させられた。どうして知らない人に、いちいちそんな面倒をしなければならないのだと、思春期には思っていたが、うちは祖父母がもっぱら権力があったので、しぶしぶ従っていた。今ではそれが有難いことだと思う。
人に礼儀を尽くす、ということが(外面でも)できるようになった。本心であり、半自動、染み付いた癖なのだ。
祖父は歌が好きな人だった。蕎麦屋を引退してからも、うどんをよく打っていた。何歳になっても二人は元気なのだと思っていた。多分、わたしの方が早く死ぬだろうとすら思っていた。
むしろ、わたしはそれを望んでいた。
人の死をかなしむのが怖いのだ。
数ヶ月前に祖父が亡くなった。
老衰だった。
その時わたしは、上京していた兄と夕飯の約束をしていた。メッセージを読んで、信じられなかった。信じられないままに、蕎麦屋に入った。二人とも空元気だった。
病院で看取られ、帰郷して見た時は安らかな顔をしていた。
葬式の手配をしていた両親の方がよっぽど大変なのだと、泣かないでいようと思ったが、無理だった。顔にかけられた布を取った瞬間、「寝ているだけじゃん」と思った。
そんなことはないと理解はしていた。だから、涙が止まらなかった。葬式では十回以上堪えられずに泣いていた。

田舎では、というかおおよそ「孫」という存在は呪いをかけられる。

「嫁にいく/もらうまで死ねない」

わたしもそれに近しい言葉をもらっていた。あたたかい言葉だ。けれど、プレッシャーだった。わたしはそれほど結婚願望はない。ある程度許容できる相手と共に老衰し死に別れたい気はするが、それが「結婚」とは、どうも結びつかない。家族を作る。つながる。そんな当たり前の輪の中にいて、わたしはそれがどんなに、どんなに奇跡的であるのかを思っていた。
祖父が生きているうちに、いい人を連れてきてあげられなかった。そのことが悔やまれる。かといって、これからいい人を連れてこられるかというとわからない。
そもそもわたしは嫁にいく気がないのかもしれない。結婚というのは素敵だ。同じ名字に、血の繋がった家族ができたり、二人で老いたり。その途方のなさに、わたしは未来を見つめるのがまぶしすぎて、難しい。
多分、結婚観というのは、両親というよりも世間から押し付けられているイメージのものが強いからだ。子供を作らなければならない。共働きをしなければならない。ご飯に手を抜いてはならない。掃除も手を抜いてはいけない。
わたしはチキンラーメンが昼飯でも許してくれる人がいい。
雑巾掛けを一緒にしてくれる人がいい。
一緒に学んでくれる人がいい。
高望みなのか、そうでないのか。
いっしょにいて楽しい、が一番なのだろう。
わたしは、多分恋から結婚はできない。
恋というものがあまりにも人間の制度においては病気だからだ。
この先好きになった人間に、奇跡的に「嫁に来ないか」と言われたら、初手でチキンラーメンを作ってやるからな。

今回はここまで。
#しおの雑文庫 #エッセイ

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