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3月21日

heisoku『ご飯は私を裏切らない』にこんな台詞がある。「人間は社会をサバイブするのに必要な水準を満たせなくても生まれるものは生まれる」、だからロボットが羨ましい。
これはサルトルの「実存は本質に先立つ」と似たことを考えていると思う。人間は、自分の存在についてあれこれ考えるものだが、人間が何であるのかという本質はもともと用意されているわけではない。生まれてきてしまったものは仕方ないので、自分で自分の意味を作っていくしかない。サルトルは「人間は自らを生み出したのではなく、生み出された存在であること」を意識する。
『ご飯〜』の主人公(そして現代社会で働く多くの人)は、生きるために労働する必要があると考えているが、そこに十分適応できないと感じているので苦しむ。また創造的に意気揚々と本質を探るというよりは、疲れたり苦しんだりしており、一日一日を生きるのに集中している。サルトルも、人間が特定の歴史的・社会的な状況に投げ出されているということを考えている。その状況下で何をなすことを選ぶのか、という点に孤独や責任が生じる。
サルトルの時代も現代も、自分という人間について思いを巡らせ不安を感じている。『ご飯~』の主人公がサルトルの思考を知ったら共感するだろうか。

参考:
heisoku『ご飯は私を裏切らない』
生松敬三・木田元・伊東俊太郎・岩田康夫編『概念と歴史がわかる 西洋哲学小事典』
ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』

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