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“こんなはずじゃなかった”日々

かけあしで日々が過ぎていって、気づけばもう3月半ば。とりわけ今年は、年明けからの時間のはこびがはやくて、はやくて。どこにいても時計の秒針の音がついてくるような毎日。

毎朝、時計に耳元で
「あれも終わってないんじゃ?これもしなきゃいけないんじゃ?」
とチクタクささやかれているようで。

こんなはずじゃなかったのだけどなあ。

今年度は大学の授業はすべてリモートで、学校に通うことは1日もなく。もっというと、1月からは春休みなので“しなければいけないこと” は特になにもなく。

そう、だから春休みは毎朝、感覚だよりに目を覚まして、ベッドの上で紅茶でも嗜みながら、ころころ小説を読もう、とイメトレをしていたのですが、どうしたことか、そんな妄想とは程とおい “毎朝” に。

(“どうしたことか”っていうことばをよく口にしてる気がする。それだけ想定外のことが多いのか、もしくはよく考えてない結果なのか。)

だけどどこかに “こんなはずじゃない” まいにちを楽しんでいるわたしも居る。毎朝、紅茶片手に小説を読むつもりだったのに、せこせこと身支度をする毎朝もね。

(最近飲んだ種までかみしめるキウイ★★☆)

どうなるかわからない、ふらふらと不安定なつぎの瞬間に、つかめない大きなエネルギーを感じて、そこに身を投じてみたくなる。

“こんなはずじゃない”が笑いになることならいいのだけれど、笑えないことだってある。

最近気づいたのだけれど、わたしには俗にいう楽観的なところがあり、良くも悪くも“こんなはずじゃない” ことがあっても「なんとでもなるだろう」と思ってしまう。

いちばんの悩みのたね。楽観的とノープランは違うはずなのに、同じきがして、自分自身をごまかしそうになってしまう。

思い通りにいかなくても、なんとかなるだろうと、次に向かう先をつくれるのが楽観的な人。ノープランな人はつぎのゆき先をつくれない。このタネがすくすくと育つまえにはやく刈り取らないと。自戒も込めて。

ショッピングモールや電車の広告、ふと耳にする音楽も。街の至るところを桜色の新生活ムードが包むなか、わたしもお引越しの準備をはじめました。

あ、卒業された皆さん、おめでとうございます。

わたしは大学4年生になります。

こんな世の中で先のことなんてわからないからこそ、楽観的に。
けれどプランは入念にね。

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