読書録:プリズン・ドクター(おおたわ史絵/著)
自分の価値観とか考えの中で絶対に譲れないものが核、その周りに許容範囲があるとして、その許容範囲になるべく柔軟性を持たせたい欲みたいなものが私にはある。物事を多角的に見る力をつけたいし、自分にも他人にも寛容でありたいというか。その方が自分の思い通りにいかない局面でも追い込まれにくいし、「まぁいいっか!」って思えれば心の余裕もうまれるし、自分じゃ思い浮かばなかったであろう面白いことにも巡りあえそうな気もするし。
それもあって、自分と異なる環境にいる人の話を積極的に聞くようにしている。共感できること、共感できずとも頭の片隅に留めておこうと思うこと、やっぱり自分の考え方の方がいいと思う自信につながること、色々な発見がある。当事者にならずとも追体験できるのも面白い。
この"当事者にならずとも"という点でも、今回読んだ『プリズン・ドクター(おおたわ史絵/著)』は自分の知らない世界の話が詰まっていた。
著者が矯正医官(刑務所等の矯正施設で働く医師)を務める中で気づいたことが淡々と、そして割とあけすけに書かれているのだが、お医者さんの話を聞くだけでも知らないことだらけなのに、さらに矯正施設ならではの要素が加わると、「へーなるほど!」の連続。一気に最後まで読んだ。(ちなみに、3時間弱かかった。)
カルテの項目や多くの患者に見られる特徴が一般の患者さんとは違うということも勉強になったが、著者の「矯正施設は罰を与える場所ではなく、受刑者を矯正する場所。矯正施設が税金で運営されているからこそ、受刑者がせめて刑務作業につけるくらいには健康でいないといけない。そのために矯正医官がいる。」という考え方が特に心に刺さった。
著者の考えを聞いて、元受刑者を積極的に雇用している中溝観光開発という会社のドキュメンタリーを思い出した。その番組でも「仕事と住む場所があれば生活が安定するし、働く中でやりがいを感じられれば再び犯罪に走ろうという気が起きにくくなる」という考え方や、実際にそういった場面も見られた。矯正施設で刑務作業に就くことは出所後も働くための前準備であり、ひいては再犯を防ぐことにつながる、そのためにも矯正医官が必要なんだと思った。
自分に置き換えて考えると、収入が安定せず、働きつつも貯金を切り崩しながら生活していたことが過去に数年間あったが、あの頃は確かに常に不安と戦いながら生活をしていた。心が弱っているときに不安を和らげてくれるものがあったら飛びつきたくなる気持ちはわからないでもない。それが仕事のチャンスだったり、信頼できる友人ならよいが、うまい儲け話だったり、薬物だったりするとよろしくないだけで。それに、悪いことに限らず、未経験のことをやるにはためらいがあっても、既に経験していることだと割と躊躇なくできたりもする。「法を犯す」ということもそうなのかもしれない。だからこそ、再犯を防ぐために矯正するのが大切なんだと思った。
こういったことを常々考えているわけではないが、冒頭で話した許容範囲で言えば「他人に寛容でありたい」につながると思うし、時折こういう「自分の人生にない話」に触れるのも悪くない…いや、むしろ必要だと思う!同じ著者の『母を捨てるということ』という本も"私の人生にはない話"が書かれているようなので、そのうち読んでみようかな。