見出し画像

物語【サイレン】

※フィクションです

先日、数年ぶりに友人から連絡があり、近くの喫茶店で待ち合わせをすることになった。
あまり乗り気はしなかったが、何故だか約束をしてしまった。
雨の上がった昼下り、待ち合わせの喫茶店へと向かう。
ドアを開け店内を見渡すと、窓際の席に友人が座っていた。他に数名の客がいるが、静かな店内だった。
「おまたせ」
と、私が言うと、
「私も今来たところよ。久しぶりね」
と、友人が言った。
窓越しに、雲間から溢れた陽射しが濡れた歩道を照らしているのが見える。

この喫茶店は古くからある珈琲専門店で、店主が丁寧にサイフォンで淹れている。店内には珈琲の薫りが漂っている。
珈琲以外にサンドイッチなどの軽食もある。会話に邪魔にならぬ程度の音量でジャズが流れており、仄暗い灯りと店内の古めかしい装飾品とが相まって、どこか大人びた雰囲気を醸し出していた。

ふと、どこか遠くで鳴っているサイレンに耳が反応した。
「サイレンが聞こえる」
そう言うと、
向かいに座っていた友人が耳を澄ました。
ほどなくして、
「聞こえないよ?」
と言い、友人は運ばれてきた珈琲カップを手に取り口へと運んだ。

(確かに鳴っていたはずなのに)

ふわりと渦を巻いて上る珈琲の湯気を見ながら心の奥で呟いていた。どことなく気持ちが落ち着かない。サイレンの音を聴いたからだろうか。それとも目の前にいる友人のせいだろうか。
久しぶりに会う友人…と言ってもそれほど親しくはなく、大学卒業後はせいぜい年賀状でやり取りする程度の、そんな付き合いだ。
それに、人の物を何でも欲しがるこの友人が、私は昔から苦手だった。

数十年も前の色んな出来事を思い出していると、ふいに陶器の音がして、私は我に返った。友人がカップをソーサーに置いたのだ。
そして、
「…元気だった?」
と尋ねられた。
私は一瞬返答に困り、言葉に詰まった。友人は真っ直ぐこちらを見ている。
「ま、まぁ元気…かな」
そう返すのが精一杯だった。
「そのイヤリング、素敵ね」
と、友人は言った。
どこか意味有りげな、そして勝ち誇るような表情だった。
私は苦笑いする他なかった。

早くこの場から去りたい。それが本心だった。
再びサイレンの音が聞こえる。今度はかなり大きな音だ。
「また鳴ってる」
そう口にしたが、友人は、
「何が?ジャズならさっきから鳴ってるじゃない」
と、言った。
ジャズの音色は聞こえているのに、サイレンは聞こえないのだろうか。
「ジャズじゃなくて…サイレン」
そう言った私に、
「さっきからそう言うけど、サイレンなんて鳴っていないじゃないの」
と、語気に少し苛立ちが見えた。そして、
「今日、あなたに大事な話があるのよ」
と、勢いそのままで言った。

どことなく、友人と会うのが嫌な理由が分かったような気がした。今まで不確かだった事が、確信に変わっていくのがわかった。
心臓の鼓動が早くなる。その鼓動に呼応するかのように、再びサイレンがなる。
今度は耳元で。併せて火災の時に鳴らす半鐘の音も聞こえてきた。

そのうち鎮火するだろうと思ってくすぶる火種に蓋をし、そうしてくすぶる火種を無かった事にしてきた。見えない方が上手くいく事もある。
私は見えない方を選んだ。
しかし今、私の心の中にあった蓋が友人によって取り去られ、鎮火しかけていた火種が再び燻るのがわかった。
蓋が無くなってしまったら、もう消せないし自分を騙す事もできない。
プスプスと確実に燻る火種を抱えた私は、ゆっくりと一口珈琲を飲み、気持ちとは逆に冷静にカップを置いた。
そして深呼吸をして、こう言った。

「あなたが何を言いたいのか、私は全てわかっているわ」

自分でも驚く程の、低くて鋭い、今までに出したことの無い声だった。
友人の勝ち誇った顔から表情が消えた。
サイレンと半鐘は心の中でけたたましく鳴り響き、互いに共鳴しあい、火種に小さな炎が点った。

店内には静かにジャズが流れていた。