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お話【魚の夢】

魚は月を知らない

ある日、月をもう一度見たいと思った魚がいた。
それはまだ小さい頃、釣り人に釣られた時に一瞬だけ暗がりの中に光る大きな月を見たのがきっかけだった。
釣り上げられるまでは月と言うのを知らなかったが、釣り人が「なんだよ、こんなちっぽけな魚かよ。酒の肴にならないじゃないか。月も綺麗だし宴会がしたいんだよ」そう言いながら針を外していた時に初めて、‘’ああ、あれは月と言うのか‘’と、息苦しい中で知ったのだった。
他のどんな魚の目よりも大きくて、どんな魚の目よりも輝いていた。
釣り人は「もうちょっと大きくなってからこいよ」といいながら逃がす。口がヒリヒリ痛い。

あれから随分と経つが、夜になると水面まで近づいてはあの時に見た月を探している。あれかなと思う事が何度かあったが、ここからは歪んだ景色しか見えないのでまだはっきりと見た事はなかった。
「あの月をもう一度みたい」
仲間には呆れられるし、気が触れたんじゃないかと言われたりもしたが、日毎に月を見たいと言う気持ちが強くなる。勿論、釣り上げられると息ができなくて苦しくなるのは嫌だが、それでも見たい。それほど見たいと言う気持ちが勝っている。
大丈夫、前は釣り上げられても直ぐに海に返してくれたじゃないか。次もきっとそうなるはずさ。

またそれから暫く経ったある静かな夜。
一艘の船が暗がりの中、夜釣りをしている。
魚はこれはチャンスだと思い船に近づいていく。相変わらず水面には歪んだ光が映っているが、色がどことなく似ているからきっと月だと思った。
魚はやっと月が見れると思った。やっと会えると心を弾ませた。けれど月だと思ったのは船のライトだった。
魚は釣り上げられながら何とか月を探したが見えないまま落下した。息が苦しいが大丈夫。また海に返してくれるはずだから、少しの間苦しいのを我慢すればいい、そう気楽に考えていたが今回は様子が違った。
「こりゃ、でっかい魚だ」と、釣り人が叫んでいる。
「刺し身にしようぜ」そんな声も聞こえる。

魚の夢はきらきら光りながら、ゆらゆら沈んでいく。

それから暫くして、ゆっくりと月が昇り始めた。それは太陽の光が反射して金色に輝く満月だった。
釣り人たちは刺し身を酒の肴にして呑んでいる。魚の目に月が映り輝く。
魚はようやく月を見ることができた。