喚起される憎悪

先月末の検査結果も含めての診断を受けに病院に行ってきました。いま僕が通うのは外来の外科です。二階にある外科受付で主治医の診察申請を終えると、後は順番が来るのを待合いスペースで待つだけです。

実はこの二階の外科の受付は小児科と受付が向かい合っています。ですので、かなり広い待合いスペースがありますが境目はありません。置かれたベンチの向きで「こっちは外科の方々。こっちは小児科の方々ね」という暗黙なレイアウトになっています。

小児科ですから、一家で子供たち全員を連れての来院も多いのでしょう。お母さんは乳幼児を抱き、お兄ちゃんはお父さんが担当する、というような光景をよく見ます。

でも長い待ち時間に耐えられないチビたちの中には、面倒を見ているお父さんの膝を蹴って走りだし、これまで外科側にまでチビたちが乱入して来ることも少なくありませんでした。

一方で、我らが外科側は老人も多く、言ってみれば全員が大人ですから、普段ならニコニコと笑顔を注いでチビたちを見守っています。僕も普段は「元気やなぁ、コケたらあかんでぇ」と微笑みながら見守るのですが、このコロナのご時世だからでしょうか。この待合いにも「そうは行かないムード」が満ちているのを感じたので記録しておこうと思います。

たまたまだと思うのですが、その待合いロビーを走り回る男の子が咳をしていたのです。コホコホと小さな咳をしつつ「うらっぱっぴぃ〜」とか歌いながら外科側のベンチの間を走り回っています。もちろん手はベンチを触りまくりです。ただ気になったのは咳をしつつもチビはマスクをしていなかったのです。

病院という、殺菌され、空調され、入館者の体温異常もクリアされ、互いのディスタンスも担保され、安心して受診を待つ三密なしの待合い場所にマスクなしで咳をするチビは、小さな悪魔が迷い込んで来た感はありました。

僕は陽の当たる窓側のベンチに座っていたのでロビー全体を見渡せるところにいました。ある老夫婦が引きつった表情を浮かべながらチビの父親を睨んでいるのも見えました。

そしてその男の子が蹴つまずいて僕の5mぐらい先でバターンとコケたのです。「うっ」という沈黙のあと「うわーん!」という大泣きが始まりました。

その瞬間、外科側のベンチに座っていた大人たち全員が、泣き声のする方に首を回すのが見えました。僕の前に座ってマスクを外していた老女は大慌てでマスクをつけました。同時に僕の位置からは、ほぼ全員の表情が見えたのです。

40人ぐらいいた外科側の大人たちのその表情には、普段なら浮かべるであろう子供に向けた愛しみは皆無でした。

ふざけんな。迷惑だ。大人しくさせろ。親はなにやってんだ…。外科側の患者達から父親への非難の視線が矢のように飛んでいるのが見えました。そしてその視線の声無き糾弾に気づいた父親は、チビを抱き上げて逃げるように走り去って行きました。

病院という場所は、人間の感情が表出して当然のところです。だって痛かったり苦しいから来る場所だもの。全員が不安に覆われていて、自らの苦しさによって「とにかく助けて欲しい」と自分が最優先になっている人たちが集う場所なわけです。健康な日常では起こらない感情の起伏も「病む」ことで表出してしまうのが病院。

でもそんな苦しい中だからこそ、他を思いやる心というものも生まれるのが病院というところです。「お互いさま頑張りましょうね」という連帯意識も自然と醸成されて行きます。僕も入院中には何度も心が折れそうになりましたが、そうした優しさや励ましに支えてもらいました。

ですので今回のあの「全員で一斉に責める感」には少し驚きました。そして自粛警察というクレーム行為が横行しているようですが、その背景を見る思いがしました。

お互いに自粛して感染拡大を封じましょうと言うのは社会の問題なのです。個々に折り合いをつけて行く自主練のようなもの。でも当事者の内面が病んでくると別に病人でもないのに「自分が一番大事」というものが個人レベルで表出してしまうのでしょう。

そして自分でそれを正義だと昇華させて行く。そして気づかないうちに知性や理性を失い、「自分はこんなに努力しているのに、努力しない人間は許さない」となる。そうやって他人を責めることで自分の不安を正当化するというダークサイドに堕ちて行く。

でもその暗黒面に堕ちるきっかけは、無邪気なチビの行動だったり、その無邪気さに対応し切れないお父さんの経験不足だったりするわけです。

誰にでも遭遇するであろう小さな出来事です。そんな小さな出来事を前にした時にこそ、自分の感情の動きをしっかりと見定めて、通常時に比べての振れ幅を自覚して「責める心」の表出を今まで以上に認識して行きたいものです。

社会は責め合っていたら成立しません。額に縦筋を立てるのではなく、お互いさまと認めあうところに常にリセットして行きましょう。

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