2020/5/2 高齢医師の動員

【2020/5/2 高齢医師の動員】

土曜日。
まだ時間が早いので(この部分を書いているのは4時台)、今日がいい天気なのか、そうでもないのかはっきりしない。でも、天気が良くない方がいいな、と思っている人が多いことが何となくわかる。自分にもその気持ちがあるから。

明日天気じゃないといいな

寝るときにこういうことを思う生活は悲しい。

今日は、平日にこなせなかった「やらなきゃいけないこと」がいくつも残っていて、幸いにも忙しいのだけど、忙しい日もそうでない日も、日はまた同じように昇る。人間はそうやって浄化されるのだとつくづく思う。

今日は、高齢医師の動員の動きのことを書きたいと思う。

少々重い話です。

いま、全国各地の自治体や医師会によって、PCR検査拡充の準備が進められています。

引退された先生や、感染症内科や、それどころか内科でさえない専門外の医師にも、PCR検査担当の依頼、が舞い込んでいることがいろいろ報じられています。

これに応じて、協力を名乗り出た先生がたも少なくない。

その行為自体はとても高潔なことだと思いますし、純粋に頭が下がります。

でも、そもそもの前提として、実施されるPCR検査は、本当に有用なのか、また、PCRの品質に応じて出てしまう擬陽性、擬陰性の問題はどうするのか。仮に真陽性がわかったとしても、大量に出てくる陽性者をすでに逼迫している医療現場のどこに突っ込もうというのか…

わからないことだらけです。

動員の要請を「赤紙」と表現する医師の先生方も居て、尋常ならざる悲愴感が漂っています。
もちろん、医師を志し、医師になったからには、身を差し出して医療に捧げたい気持ちは誰しもある。私だって一片の例外ではありません。引退された先生がたの中には、ご自身が基礎疾患を有していらっしゃったり、ご家族に脆弱な方(最近はこれをフレイルと言います)がいらっしゃったりするケースも少なからずある。イタリアなどで診療に復帰した医師がすぐになくなった例もある。それでも、医学の徒は、ひるまない。

だけど、役に立つのかどうか、また、それが正しいことなのかどうか、は別のことだと思う。

今準備されているPCR検査の拡充は、そのあたりの議論を煮詰めることなく、「PCRを増やせばきっといいことがあるだろう」的に進められているというなんだか嫌な気持ちが凄くあります。

そもそも内科診断学で習う極めて重要な話として、「その検査を実施する前にどのくらいの可能性がある人だったのか」(検査前確率)がちゃんと調べられていて、<検査を経て>、「検査後のいま、どのくらい可能性がある人になったか」(検査後確率)がわかるようになっていなければ、検査など意味がないというか、それは「検査」とは呼びない代物なのだ。この話はインターネット上にはあちこちに精確に記載されているので、この段落をみて「???」と思った人は、「検査前確率」とか「ベイズ統計」とか「内科診断学」とか調べてみてほしい。この領域の本を読むと、ひと夏かかります。GWでは無理かも…。

そういった概念を十分にわかった専門家が導くのでなければ、検査の濫造など百害あって一理ない。報道する人も、記事をものするひとも、SNSに私見を書く人も、それくらいのエクササイズ、準備運動はしてからにしていただきたい、と思います。書くこと自体は自由だけど、それを見て惑わされる人がいるのです。

書いているうちに熱くなってしまったけど、専門性とはそういうものです。

趣旨に戻ると、そういう曖昧な議論の果てに、ロートルの(私を含むのでお怒りになる勿れ)医師にPCRのために復帰を願うなどというのは、どこか明確におかしいと思います。

PCRの危険行為従事者になるではなく、医師には、ほかの形でいくらでも貢献できる方法はあると思うのです。

検査是非論は奥が深くて、朝の散文では尽くせないので、改めてちゃんと書きたいと思います。(なかなかそう思ってもできないけど、すみません)

<Stay Home>。

2020/5/2 Die革命グループ主宰・医師 奥 真也

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