2020/4/21 re-Nationalization

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<Re-nationalization>

火曜日の朝。

最近、朝一番の行動が「テレビを消す」であることが多くて、ちょっと(かなり)悲しくなる。まあ、もともと、まどろみながら撮り溜めビデオを見る趣味があるのだけど、今はニュース番組やドキュメンタリーばっかりに時間を取ってしまい、朝ごとにちょっと嫌気を感じている。

昨日、私の中の懸案だったコロナ後の世界が「いつ訪れるか」のテーマについて、書き始めました。収束の早さは、望まれない感染爆発との兼ね合いもあるので、なかなか理解してもらいやすく書くことも難しいし、その前に、予想も極めて難しい。
ある程度、日本で爆発が起きる確率の大小や、自粛効果の振れ幅などが分かるようになってきたので、書き始めた次第です。
そのコンテクストでは、東大放射線科の後輩である前田恵理子博士の唱える「収束十年説」というのが社会の耳目を集めていて、その説との関係において自説を整理するという作業は、進めやすかったと思う。

ごく簡単に振り返ると、前田先生は「集団免疫」「ワクチン」を比較すると実現可能時期に関してワクチン乗り(50年vs. 10年)、満足いくレベルの世界的実施には十年かかる(簡単まとめの不精確はご許容あれ)、で、「治療薬」は根本解決にはならない(ので十年説を修飾しない)。というもの。
対して私は、前二者の遅さは分かるけど、治療薬にもうちょっと期待すべき、いや、ここは大事なので附言すると、近々の治療薬はCOVID-19を完全に解決するレベルまでいかないかもしれないけど、社会の要請との兼ね合いがあるので、来年のしかるべき時期には「それなりの見切り発車」をするだろうというものです。

 正直なところ、私も前田先生も、自らの悲観的(?)な見方はできるだけ外れてほしいと思っている。前田先生も十年経たずに玄人裸足の趣味であるオーケストラに復したいし、私もマスクのない人生を満喫したいのだから。社会のためにも、自分のためにも。

 さて、この話は置いて、「コロナ後社会」のいろいろな変化について、今日はre-nationalizationを書いておきたい。訳しにくいけど、強いて訳すと「再国粋化」でしょうか。右翼っぽいけどそういう意味じゃない。

特に珍しい意見ではないと思うのだけど、今回の感染症は、globalizationに対する強烈なアンチテーゼ(反証)となった。国際化し、それぞれの国の人や文化が交わり、生産も費消も風習も文化も全てが共有する時代こそが現代であったともいえる。しかし、その一見理想郷であると思われたglobalizationには大きな陥穽があった訳だ。あくまでも結果論かもしれないけど、経済格差が成り立たせているglobalizationとはそもそもが砂上の楼閣であったのかもしれないのだ。

で、re-nationalization。もう一度、日本、そして世界のそれぞれの国が、自国や、少し広げても「お仲間の国」でなんとかしたい、ということは起こっておかしくない。
おそらくこのタイミングでこれを書くと、「ああ、そうしておけばよかったのに」は普通にあり得る反応だと思う。それでも、「いや、21世紀はそれでは回らんよ、グローバル化万歳!」という意見こそ私は聞きたいと思うけど、実際のところ、なにがより我々にとって好ましいのかは、これからの大きなテーマになっていくのだと思う。

日本各地のごく足許の感染者数データは、自粛の効果があるように思われる数字にも見えて、逆に怖い。

今日も明日もまだまだ、いや、これからこそ、<Stay Home>なのだ。

2020/4/21 Die革命グループ主宰・医師 奥 真也


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