あんま略せてない略歴 その2
略歴の続きです。
高校入学~卒業まで
受験に失敗し二次募集で受けた高校へなんとか滑り込む。当時すでに珍しくなかった携帯電話がなんと持ち込み禁止という校則と、レスリングで有名な吉田沙保里選手の出身校ということを入学直前に知り驚く。
ちなみにとあるTHP-Jの方も在校生で、入れ替わりで卒業していったことを後に知った。
中学からの友人はほぼおらず、さらに当時まったく興味のなかった英語を専攻とするコースに入る。今考えるとここで勉強しなかったのはスーパーもったいなかった。特に誰かと話すこともなく数日が過ぎるが、新入生同士の親睦を深める宿泊研修で、ようやく友人ができる。
この時の友人らとは現在もたまに遊んだりしており、結婚式でヨーヨーを披露したりもしている。
半年ほど誰にもヨーヨーをしていることを言っていなかったが、担任との二者面談のときに「お前部活入ってないんか、内申響くかもわからんぞ」と言われるも「僕ヨーヨーで忙しいんで無理です」と断る。その後ヨーヨーを見せ、休日は自分たちで練習会を開いたり行事に赴いていることを言うと「それは凄い」とシンプルに褒めてもらう。
3年間クラス替えがないコースだったため、この担任の先生とも3年間一緒。同級生らと同じく、今でもたまに呑みに行ったりする。
文化祭の客寄せでヨーヨーしたり休み時間にヨーヨーを貸し出しして、数人はバインドができる程度に染める。
家では相変わらずヨーヨーかオンラインゲームの日々が続くが、徐々にヨーヨーのみの日々になる。学校で寝て家で練習するという生活サイクルに変わる。単位ギリギリの中、補習の山を越えてなんとか進級。
高3の春頃、訳あって昼逃げ(夜逃げの昼版)をする。少し古い家に引っ越したが、かわりに安息の日々を手に入れる。
大学をAO入試で受けるが、途中の面談で「物理II履修してないの?それじゃあウチだとやっていけないよ」と言われ、ヤケクソになり試験の途中で辞退を申し出て帰宅する。
卒業直前に出場したCJ(中部地区大会)で優勝する。
卒業後は何かしらヨーヨーを仕事にしたい、というふんわりとした目標を抱えたまま(多分クラスの中で唯一)進路不確定で卒業する。
フリーター生活~社会人から世界大会優勝
卒業後すぐに世界大会優勝を目標にする。仕事は内職と、近所のスーパーで惣菜アルバイトを掛け持ちする。時間の自由がかなり利く環境を整え、おかげで練習も練習会も存分にできる理想的な日々をおくる。
CJ優勝から、さらに波に乗るべく結構練習する。春にはJN(全国大会)で準優勝を果たす。
いよいよ夏の世界大会。思えばこれが初の海外。しかし本番見事に絡まりベルトに直撃。その後なんとか持ち直そうとするも叶わず5位に沈む。
翌週のニューヨーク国際大会(New York International Open)では優勝し、翌年のアメリカ行き=世界大会と同国際大会の航空券を手に入れる。しかしフリーター生活は1年までと決めていたので、秋のアジア大会が終わってから警備会社へ就職。長期休暇が必要な大会出場はしばらく諦めていたが、これが今後の僕の人生をかなり左右する。
仕事に慣れてきた頃、会社の壮行会でヨーヨーを披露してくれないかと依頼される。本社のある東京へ行き、上層部ばかりの面々にビビる。
なんとかパフォーマンスを終えると、いきなり社長から声をかけられる。再びビビりまくるもなんとか話をし、チャンスとばかりに「僕、実は夏の世界大会に出たいんです」と直談判すると「応援するよ!行ってきなよ!」と力強く後押ししてもらう。
同じ現場の先輩たちにも頭を下げ、なんとかニューヨークと世界大会に行くための休みを確保する。しかしその分仕事が詰まり、ほとんど練習できない日々が続く。
また、1ヶ月前になってニューヨーク大会の方から賞品の航空券がまだ届いてないことに気づき、急いで確認を取ると、まともな便が残ってなかったのかとんでもない旅程のチケットが出国4日前に届く。簡単に言えば12時間くらいで着く旅程が28時間5分かかる超大回りコースになった。このことについては過去のコラムで。
http://yoyonews.jp/column/yyn001/
トラブルを乗り越えなんとか到着し、ホテルで死に物狂いで練習する。多分人生で一番練習した。相当必死にやってたのか、後日「1日ごとにまるで別人みたいに上手くなってた」「明らかに軌道がキレイだった」とまで言われた。
無我夢中で予選、準決勝を乗り越え、優勝をもぎ取る。最後の決勝のフリースタイル中、終わり間際に「あれ?かなり決まってるんじゃね?」と思ったのをハッキリ覚えている。
表彰では呆然とするも、トロフィーをもらった瞬間ステージから見た景色がなんとも言えなかった。語彙が消失した。ステージを降りると写真攻めにあい、世界チャンピオンになった実感が湧いた。
世界大会が終わって2ヶ月ほど経ち、三居さんからリワインド立ち上げの誘いをもらい、2010年の年始早々に岩倉市へ引っ越し今に至る。
略歴は以上です。