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月刊誌「致知」編集長、藤尾允泰氏に学ぶ、困難の乗り越え方。

お久しぶりです。
noteの方も更新していこうと思います。

さて、本日はとても深い学びがありましたので、
自分の思いも含めて、シェアしたいと思います。

人間学を学ぶ月刊誌「致知」の編集長、
藤尾さんの勉強会でした。

たった1時間の時間でしたが、とても濃い学びでした。
いくつかに分けて、学んだ事、感じた事を記します。

まずは、

・窮達(きゅうたつ)は命(めい)なり。
吉凶(きっきょう)は人に由(よ)る

【訳】
困窮したり、栄達に恵まれたりするのは運命であり、どうしようもないことだ。しかし、その困窮、栄達を吉にするか凶にするかはその人次第である。

 
まさにその通りだと思います。

生きていると、良い事もあれば、有り得ないと思うくらいの悲劇や、苦しい事が起こる事があります。

しかし、それは運命でもあり、
どうする事もできません。

こんな事が起こるなんて有り得ない、なんで自分だけ、
そう思ったことがある人もいるのではないでしょうか。
私もそうでしたし、色々な人からそう聞いたこともあります。

でも、起こる事は有り得ないことではなく、
起こり得る可能性のあることが、
ただ起きただけである。

しかも、ただ意味がなく起きたのではなく、
意味があって起きている。

起きる事はもう命でしかない。
それはどうしようもできない。

自分たちにできるのは、それをどう捉えて、
活かしていくのか、それとも嘆くのか。
ただそれだけである。

起きた出来事を、吉にするか凶にするか、
それは自分次第である。

そこにその人の本質が現れ、
それが人生の質を分けていく。
運命を分けていく。

私が帝王學を学んできて、一番響いた事は、
「意味のない事は起きない」という言葉でした。

これもまさに同じことを言っていて。

有り得ないと思うほど困難に出会った時に、
ただ嘆いて不平不満、文句を言うのか、
それとも、
意味があってこの出来事が起きていると捉え、
前向きに捉えるのかによって、
人生は180°変わってくる。

ここにまず人生の本質があると感じています。
  

二枚目の写真、

・英語の諺に「a blessing in disguise」(仮装した祝福)とあるように、一見不幸な出来事も仮装しているだけで実は天の祝福、恩恵なのである

こう思えるか。

苦しい出来事、一見不幸と思える出来事を、
どんな意味があるのだろう、と捉え、
魂の成長の機会と捉え、苦しくても向き合っていく。

その過程に、人としての成長があり、
自分が本当に目指している自分、
求めている事ができる自分になっていく。
深みが増していく。

この考え方がとても大切だと感じています。
 
 

四枚目の写真、

・一流プロの共通点

目の前に与えられた仕事や環境に
愚痴や不平不満を言わず
決して手を抜いたり投げ出したりせず
一心不乱・無我夢中に打ち込んでいく。
その姿勢を何年も続けていった先に
思いも寄らない成功や幸福に辿り着いた

大きな事を成している人は、
ほぼ例外なく大きな壁にぶち当たったり、
困難にぶち当たっています。

いや、これはどの人もそうかもしれません。

そんな時に、不平不満を言わず、
投げ出したりせず、向き合えるか。
それを続けられるか。

それが、大成するかしないか、
一流になれるかどうかの分かれ道になると。

これも本当にその通りだと思います。

自分はかつて、自分の境遇、
環境に不平不満を言っていました。

なぜこうなのかと。

今振り返ると、未熟だったなと思います。

どのような環境でも、創意工夫はできる。
そして、環境を変える努力だけでなく、
自分の心を変える努力もできる。

不平不満を言っているのなら、
環境が悪いだけでなく、
自分自身の心もまだまだなのだなと感じています。

ああ、自分を成長させられる絶好の機会だ
自分の思い通りにしたいという自我がまだ強いのだな、もっと感謝できる心を養わないとな、
と感じて、自分の心をもっと磨いていく。

不平不満を言わず、感謝できる心を作っていく。

そのように捉えていかないとな、
と感じています。
 
 

最後は三枚目、

登山家の栗城史多さんの言葉。

栗城さんが、なぜ凍傷で指を切り落としたりしながらも、エベレストなど、困難な山を登り続けるのか。

それは、

自分だけが山を登っているんじゃない。
誰しもそれぞれ、見えない山
「自分の中のエベレスト」を登っている
中には挫折してしまった人もいるでしょうが
自分はできない、無理だ、と思っている
心の壁を取り払いたい
 

この思いからだそうです。
 

痺れました。

私も、何度も挫折しました。

自分のぶち当たる壁が大きすぎて、
もう無理だと、何度も思いました。

苦しすぎて、
もう無理だと思って、
何度も死のうとしました。

でも、最後は諦めずに、
なんとかここまで来ました。

世の中の多くの人も、
苦しい中戦っている人も多いと思います。

無理だ、苦しい、と思っていても、
なんとか登ろうとしている人もいると思います。

そんな人の助けになりたい。

その思いは、栗城さんと同じです。

自分自身も、
たくさんの困難と闘い、
向き合ってきた。

だからこそ、
困難や苦しみの向き合い方や考え方、
対処法がわかって来た。

それを多くの人に伝えて行きたい。

多くの人の苦しみをなくしたいし、
勇気となりたい。

改めて、そう思えました。


藤尾さんも壮絶な経験をされておられます。
実際に藤尾さんから直接そのお話を聞くのは初めてで、私も途中で涙が溢れました。

そんな辛いご経験をされながらも、嘆くのではなく、向き合い、進んでいる藤尾さんは本当にすごいと思いますし、
致知での学びや様々な一流の方へ取材をしてこられたご経験が、ご自身を救い、そして成長や深みを増していく事に繋がっておられるのだと感じました。

私自身、様々な困難と向き合ってきて、今持っている答えが、今日の藤尾さんが仰っていた事と全く同じだった事はとても自信になりましたし、同い年の藤尾さんのような仲間がいる事は大変嬉しく思います。

今日は大変深い学びをありがとうございました!

また色々語れる日を楽しみにしています!

月刊誌「致知」も本当に深く、人間学を学べるので、まだ読んだ事がない方はぜひ読んでみてください。

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