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世界一周物語14話 番外編 "初の海外一人旅はモンゴルの首都ウランバートルへ"

少年はいつからだろうか?
『世界一周』という言葉に憧れたのは?

少年が世界一周へ行こうと決めたのは大学2年生の20歳の夏休みだった。

そのきっかけになったのは、モンゴルの2週間の国際ボランティアだった。

このボランティアは世界から15人ほどのボランティアが集まって、モンゴルにある孤児院の夏休みのワークキャンプをお手伝いするというものだった。

少年にとってこの旅が世界一周へ行きたいと、強く思う経験になった。

初めての海外一人旅、モンゴルはウランバートルへ

僕は京都産業大学に通っていた。
志望校の関関同立の大学には全て落ち、滑り止めで合格していた京都産業大学に通っていた。
10数年前は、就職氷河期と呼ばれていて、有名大学を卒業していないと、ちゃんとした企業に就職できないと思っていた。
決して大学で就職先が決まるのではないんだな〜と今では思うが。

少年は、大学4年間、しっかりと過ごさないと、きちんとした企業に就職できず、惨めな人生を過ごすと思っていた。
だから、保険として教職を取って教員の免許だけでも取得しておこうとなっていた。

教師になるにも、当時の倍率はすごいモノだった。

教師になる為に他の人と差をつけるにはどうしたらいいか?
そうだ。他の人が経験していない事をしないと教師になれない。

と言う訳で、海外で国際ボランティアだと思いつく。

そして、色々な団体や色々な国のボランティアを探して、行き着いたのが、なぜかモンゴル。

モンゴル行きの一番安い航空券を探して、購入。

そして、ボランティア団体に書類を提出して、お金を振り込む。
保険に加入して、ホテルを手配して、1人で全てを準備する。
パスポート取りに行って、お金を現地でおろすためのクレジットカードと国際キャッシュカードを作って。
やることは盛りだくさん。

海外へ1人で行くのはこんなにも面倒な事なのか。

僕が手配した航空会社はモンゴル航空。
世界の安全な航空会社を調べてみた少年。
なんと、ワースト10位ぐらいに入っていた。

一気に怖くなる少年。
やっぱりやめておこうとかな〜?と不安になる少年。
しかし、ワースト10位の航空会社と分かったのは、航空券を購入した後。

まあ、死んだら死んだ時と思って、
いざモンゴルはウランバートルへ行くことに。

荒野にあるウランバートル空港。

初の1人での海外。
メールでのやり取りで、現地の到着のフライト番号と時間を送る。
そして、スタッフの人が空港に迎えに来てくれることになっていた。
万が一の為に、電話番号も送ってくれていた。

そもそも、現地でどうやって電話をかけるのだろうか?
当時は携帯電話はない時代だった。

本当にスタッフは時間通りの迎えに来てくれるのだろうか?
世界で最も危険な航空会社である一つのモンゴル航空は墜落しないだろか?

初めての海外、楽しみだな〜っていう想いは全くなく、不安な気持ち100%で、モンゴルはウランバートルへ向かう飛行機に乗り込んだ。
機内食は緊張のあまり、全く味はしない。
そもそも味がしない機内食だったのかは定かではないが。笑

ドリンクを聞かれ、ビールを飲みたい所だったが、不安のあまり、ソフトドリンクのコーラを頼む。
ちなみに帰りの機内では、満足気にビールを飲んでいた。

モンゴルに到着したものの、空港に1人待ちぼうけ。

不安な気持ちとは裏腹に、飛行機は無事、
モンゴルの首都のウランバートルに到着する。

入国審査を無事通過し、預け荷物をゲットする。
そして、いざ、モンゴルはウランバートルに入国。

搭乗ゲートには、いるはずのコーディネーターの姿はない。
嫌な予感が的中。まあ、そのうち来てくれるだろうと、ベンチに腰掛けて30分ぐらい待っただろうか?

それでも来ない。そうだ、聞いてた電話番号がある。
いざ公衆電話で電話を試みても、かかるはずがない。
焦る少年。搭乗ゲートからだんだん人がいなくなっていく
。それでも1時間は待っただろうか?

それでも来ない。一か八かの賭けに出る。
空港の外にいないか探してみよう。
一度空港の外に出ると、入れないシステムになっていた。
まあ。このままいても、時間だけが過ぎていく。そう思った少年は、空港の外に飛び出した。
空港を出ると、少年は驚愕する。草原の中にポツンとある空港。


果たして、このモンゴルは僕が住んでいる日本と一緒の時代にある国なのか?

少年が行った海外は高校の時の修学旅行のグアムだけだった。
先生が全部手配してくれて、安心・安全が担保されている海外だった。

少年が呆然と立ち竦んでいると、目の前に牛が横切る。
うんこをするお牛さん。
見渡す限りの荒野。

僕は空港に取り残されているのを一瞬忘れていた。

少年が20年間過ごしてきた日本という世界と少年が今目にしているモンゴルの世界。
一緒の地球という世界では繋がっているけど、
何かそこには大きな隔たりがあるような。

一緒の時代であるけれど、タイムスリップしたような。
今まで過ごしてきた日本とは違う世界がそこにはあった。

あちらこちらになる自動販売機。
24時間営業の夜でもきらびやかなコンビニ。
安心安全な日本。

いつも見ていた当たり前の光景とモンゴルにある光景
少年は空港に取り残されている今の状況を忘れて、
そんな事を考えていた。
数時間、飛行機で移動しただけでこんなにも違うものなのか。

そんな感慨に耽っていると、
後ろから18歳ぐらいのモンゴル人の少女が駆け寄ってきた。
話しかけてきた。そう、彼女はスタッフだった。

少女は到着の時間に来ていて、僕を探してくれていたそう。
そして、僕も彼女を探していた。まあ合流できて安堵した少年。

お迎えは公共交通機関のバスです。

お迎えというからには、タクシーか自家用車を想像していた。
しかし、ここはモンゴル。そんな甘い話はない。
空港から、荒野を歩いて、彼女の後ろをついていく。
僕は車を駐車した場所へ向かっているのかな〜って思っていた。

何か結構歩くなーと思っていると、彼女が向かった先はバス停。
そう、バスでの送迎だった。

バスにはもちろんモンゴル人。バスの窓から拡がる光景はモンゴルの風景。
少年の目に入ってくるのは、日本ではなく、モンゴル。
頭では分かっていても、感情が追いつてこない。

横にいるのは日本人ではなく、モンゴル人。
彼女が喋っているのは日本語ではなく、英語。
僕が喋っているのは日本語ではなく、英語。

少年は日本ではなく、モンゴルにいる。
そう、少年は20年間住んできた日本ではなく、モンゴルという土地にいる。

大きな不安と少しのワクワクを抱きながら、
バスの窓から見えるモンゴルウランバートルに町並みを見つめる。

そして、バスを数本乗り継ぎ、ボランティアに参加する人達が集められているマンションの一室に到着した。

次回に続く。

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