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動かなきゃいけないという圧力

彼女が泣いていました。

「私に価値なんかあるんだろうか」

ふっと、
本当にふっとしたタイミングでそう思ってしまうことがあるようです。

そのたびに、

「価値がない人間なんていないよ。」

と言います。

彼女は、動きたくても動けなくて、それが周りと比べると自分が劣っているように感じて、泣いていたりします。

僕は常に「価値ってなんだろう」と思っています。

毎日学校に行って周りと同じように学ぶことが価値なんだろうか。
毎日会社に行って周りと同じように働くことが価値なんだろうか。

心や体の調子が整わず、思うように身体が動かなくて、動きたくても動けない人もいます。健康な人はそれを「甘え」や「逃げ」と判断してしまう。そういう声を聞いて、悲しくなって、また動けなくなる。

そういう姿を見ていて、今のこの環境は「動かなきゃいけない」という圧力が強すぎると思いました。それは、親からの期待であるかもしれないし、SNSでいろんな人の活躍や近況が流れてくるからかもしれない。「ふつう」が、フルタイムで働く人をイメージさせられてしまうからかもしれない。僕も彼女といるようになってから、本当の意味で気付きました。

普通に動ける人は「動いたらいいじゃん」って思うんです。思っちゃう。自分がそうしてきたから。「動いたら楽になるよ」って。でもそうじゃない。動けない人は動きたくても動けない。本当に動けないんです。
外に出るのが怖かったり人混みが怖かったり、いろんな気配に気を遣って疲弊したり。そこでエネルギーのすべてを使っている。

僕も動いたらいいじゃんって思ってた人なのですが、考え方が180度変わりました。動きたくても動けない場面をたくさんみてきたから。そういう考えが人を苦しめるんだって知りました。できないことを強いてるんですよねこれ。

だから、認められるようになりました。
動けないならそれでいいよと。だってそれでいいから。他の人と同じように動く必要はない。周りの人と同じように学校や会社に行くことが正義じゃない。そういう空気があるだけ。人が幸せに生きる方法がひとつなわけがないし、幸せになる方法は人それぞれに違って当たり前。居れる方法で居たらいい。

どういうわけか、他人に対して厳しい目線を向けてしまいがちな中で、そういう目線が生きづらさを助長していることを自覚しながら、他人に寛容になることが求められていると思います。

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