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生きるために引きこもる

引きこもっている状態が問題なのではなくて
引きこもらざるを得なかった理由があると思うんだけど、
長期化していると、どうしても「◯◯年引きこもり状態」のインパクトがありすぎて、そこにばかりフォーカスしてしまう。

ある、引きこもり・生きづらさの発信活動をしている方について思った。
その方は母親との関係が良くなかったそうで、
今も仲がいいというより「母も辛かったのかな」と逆に理解をしてあげるような感じ。

外の世界に生きていける場所がないと感じたり、
仕事が続かなかったり、
体力がなかったり、
自分は社会不適合者だと
ずっと苦しんできた方で

その方の発信は、引きこもり経験を軸に語られることが多いんだけど
苦しさの根っこはそこではないと思った。

本当に苦しいのは、家庭にも外にも安全基地を得られないまま大人になったことじゃないかな。
だからストレス耐性が低くて、傷つきやすく、
どこにも居場所を得られないと感じる。

家庭が安全なわけでもないから、傷ついて帰ってきても癒してもらえない。
だから冒険に出ていくエネルギーがない。
自室に引きこもるしか自分を守る手段がない。

これはご本人も分かっているのに取材時に「引きこもり経験を語ってください」と言われるからそうしているのか、
ご本人も気づいてないのか(それはなさそうだけど)わからないけど、

本当にラクな方に向かいたいのなら、
引きこもり体験にばかりスポットライトを当てるのは限界があると思った。
だってそれは氷山の一角でしかない。
その下に根深くて大きな愛着の課題があるのに、どうしてそこがフォーカスされないんだろう。

今はその方は、仲間やパートナーがいて、かなり精力的に活動しているように見える。
親以外の安全基地を手に入れたことがとても大きいんだと思う。
でもそこに触れられることはほとんどない。
私は、そこが95%を占めるくらい大事だと思うのに。


私はその方の活動にとても救われた。
その方を知れて本当に良かった。

でも、私自身の生きづらさを深掘りすればするほど
やっぱり、引きこもりも摂食障害も自傷も睡眠障害も、表面のものでしかなくて
そこの解決ばかり考えているうちは、焼石に水なんだよな。

よくある例えとして、
火事が起こって火災報知器の警報が鳴っているのに、
火災報知器がうるさいから、警報だけ切ってしまうような。
火事はそのまま。燃えているまま。
でも、警報音が止んだから表面上は落ち着いたかのように見えてしまう。

引きこもりという状態ばかり問題視するのは、
警報音を止めようとするのと同じだ。

安心して生きていける場所がないから、消去法で引きこもるしかないだけ。
生きるために引きこもっている。


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