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ふまじめのきろく ①

まつむらしんごです。映画監督をしてます。
10月20日(金)から僕の新作長編映画『ふまじめ通信』が池袋シネマ・ロサ、ヒューマントラストシネマ渋谷、他順次公開となります。僕にとって4本目の長編映画となります。
何本作っても公開前はいつもドキドキしてます。慣れることはありません。
毎回、誰も観にこなかったらどうしよう…誰にも喜ばれなかったらどうしよう…と逃げ出したくなります。でも、毎作品、自分がどうしても作りたいものを、たくさんの時間と労力をかけて作っているので、何を言われてもへっちゃらさ、という気持ちも少しはあります。
今回もいつもと変わらずたくさんの愛情をこめて作った映画なので、たくさんの人に観てもらいたいと思ってます。そのために、この映画がどんな映画なのか少しでも興味をもってもらうために、この「ふまじめのきろく」を書くことにしました。文庫についてる「まえがき」や「あとがき」だと思って読んでください。

さて、いきなり作品のことをつらつら書き始めようと思ったのですが、その前にもっとちゃんと自己紹介をしたほうが良いと思ったので、自分のことを少し書きます。『ふまじめ通信』はちょっと変わった映画なので作品の性質を知るためには、僕自身のことを語る必要があると思いました。

昔から人付き合いが苦手でした。とにかく一人でいるのが好きでした。だから、学校は大嫌いでした。普通高校を1年で辞めてから、通信制の高校で単位をとることにしました。自宅でレポートをやってポストに投函するスタイルなので、普通の同級生より余った時間が多かったと思います。その持て余した時間はだいたいレンタルビデオ屋にいました。と書くとカッコつけてる気がしますが、田舎だったので他に行く場所がありませんでした。暇だったので映画をたくさん観ました。そのうちだんだん映画の魅力にハマっていきました。特別、芸術や文化や娯楽に興味があったわけではありません。僕が映画に惹かれたのは、映画の中の登場人物はだいたい困っていて、だいたい不幸だったからです。「自分だけじゃない。世界にはたくさんの不幸があふれている」それは、田舎の鬱屈した通信高校生にとって何よりも慰めになりました。僕は冷凍倉庫内で食品仕分けをするアルバイトを始めました。時給900円。地元では一番時給の高いアルバイトでした。そこで得たお金を持って東京のミニシアターに通いつめました。ある日、たまたま本屋で立ち読みしたスタジオヴォイスという雑誌が『映画の作り方』という特集をしてました。そこでは自分と同年代の人たちが映画学校で映画を作っている様子が紹介されてました。それを読んで僕は衝動的に「あ、映画つくりたい」と思いました。それまで何にも情熱を持ったことがない僕にとって、はじめての感情でした。それからお金を貯め、夜間の映画学校に入りました。その最初の授業でオリエンテーションが行われました。講師の方が「なんで君は映画をつくりたいのか?」という質問をしました。20人程のクラスメイトが、一人ずつそれに答えていきます。最後の方に僕の番が来ました。僕はとっさに「・・・思い出作り」と答えました。クラスメイトからは失笑が生まれ、講師からは「動機が軽いな」と言われました。でも、僕にとっての思い出作りは、決して軽い気持ちなんかじゃありませんでした。僕は、体育祭も文化祭も修学旅行も経験してません。それどころか、休み時間の悪ふざけや放課後の談笑も未経験です。「思い出がほしい」。これは僕の最も切実な願いでした。というのも、夜間の映画学校を終えたら、地元で就職するつもりでした。父も母も兄も、地元の工場に勤めていました。自分もこれから死ぬまで、工場で働き人生を終えて行くのだろう。その前にどうしても、楽しかった思い出がほしい。死ぬまで味がなくならない、かみ続けられるガムのような、思い出がほしい。それが僕にとっての映画をつくる最大の動機でした。一つ誤算だったのは、映画を作ることが僕の予想よりはるかに楽しくて、全然やめられなくなってしまったことです。もはや僕にとって映画作りは思い出作りではありません。でも「思い出」を大事にしていることは今も変わりません。それは、僕らが作る「物語」の主成分は「思い出」だと思っているからです。今回、「ふまじめ通信」のいちばんの特徴は、色々な人の「思い出」で出来ているところです。この物語は19個の短い章で構成され、エッセイのようにエピソードが連なっています。そのほとんどが僕の実体験か、友人から聞いた本当の話が元になっています。またロケハン中に現地の方々から聞いた話も盛り込まれています。僕はその時「わざわざ人に話すほど価値があるとは思わないけど、自分はとても大切にしていてどうしても捨てられない思い出」ってありますか?と聞いて回りました。驚いた事に「そんなものありませんよ」と言う人は誰もおらず、皆「こんな話でも良いんですか?」と語ってくれました。その時、僕は確信しました。「人はみんな心の引き出しに物語の種となる『思い出』を持っている」と。
これを引き出しから取り出してちょっとだけ光をあてて物語にしたのが今回の映画なのですが、それは創作法としてもっと詳しく語りたいので次回にさせてもらいます。

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。では、また次回。

                         まつむらしんご拝


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