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人間殺すのやめられない!

◆『人は戦場だから異常心理になったの
だろうといふが、決してそうではない。

文化の仮面で覆われていた人間内部の獣的な本性が
偶々機会を得て露呈したに過ぎない。

人間は動物であることを全く脱したものではない。
赤裸な人間は必ずしも純粋ではない。

むしろ人間の原罪性は戦場のような所では
剥き出しになると云うべきだ。

私はそれをこの身をもって味わったのだ。』

◆北原白秋のご子息の隆太郎さんの戦争手記の抜粋。
この方は久松真一禅師のFAS協会(※1)にて
生命かけて座った方である。

FAS協会のHPでその戦争手記を拝見した時に
酷く心に刺さった。

近現代史は少し勉強してきたが、
やっぱりかーー!!直ちに全体を直感したー。

今はこの貴重な手記を見ることはできないし、
禅の道友達に子供じみてると諌められたとも言う。

稽古人から見たら大変な貴重な証命だが、、、

◆稽古の力とは究極において
認識(ジュニャーナ)の力と言えるのでないか?

紐を紐と見る。
紐を蛇と見ない。

偽を偽と見て
真を真と見て
偽の中に真をみる。

事実を事実として
ありのままに観る。

あるいは組手で
道友の頰に米粒ついてたら
ほら!ついてるョ〜!
知らせる。

髪がはねてたら
ほら!はねてるョ〜!
と伝える健全さ。

クールなフィードバック力、
情報を正しく認識し処理する能力。

◆そう言う意味で歴史の認識力は
事実を事実としてクールに観察していき
自民族や己の業や同一性が理解できる。

あるべき自然なところに駒は正しく置かれ
互い互いに照らし返しながら輝きつつ、
健全さを取り戻すと言う本当に大切。

歴史は神話性やイデオロギーや政治性を帯びる。
事実をひん曲げて物語性を付け加えたい人々いる。

大衆の歴史認識を意図的に貶めたい人々がいる。
当然にヒトの生命は大変に劣化させられる。

大東亜共栄圏や八紘一宇、
五族協和とか言う出鱈目の夢物語、、、

実際はそういうお伽話は無かった。

弱い人々から酷く傷つけられ
女性は性犯罪の対象であり酷く踏みにじられ、
ヒトの生命は虫ケラの如く扱われた。

差別され互い互いは分離させられ
貶められ殺されたのだった。


※1
F・A・S禅とは3つの方向性。

F:形なき自己にめざめる    
<To awaken to Formless Self>

A:全人類の立場に立つ     
<To stand on the standpoint of All mankind>

S:歴史を越えて歴史を創る   
【To create Suprahistorical history】

伝統的な禅は、己事究明、すなわち真の自己は何かを究明することに集中し、必ずしも真の世界は何か、あるいは真の歴史は何かを問わなかった。


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