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【笑いの大疑団:死と創造】

【笑いの大疑団:死と創造:】2015・2・28


一番初めに指導を受ける先生と言うのは良きにつけ悪きにつけいつまで経っても影響大である。良いことも悪いことも無意識にダウンロードしてしまうのだろう。一端インストールされると消去しようにも消去出来ないわけだ。


自分の場合は初めての先生は”ネガティブY”と呼ばれていた。今はどうか知らないがどこか暗く相当に否定的な先輩であった。自分だけでなくある地方国立大学の空手正師範もすぐに彼の話題になると全く同じことを指摘してたから事実だろう。


彼は夜中に電話かけてきては実に興味深いディープな稽古情報や組織内関係の政治的な情報をも詳細に教えてくれた。情報の収集がうまくて情報通であったわけだ。さらには、当時、学生であった私がなぜか彼の悩みを聞いていることも少なからずあった。彼は三歳ぐらい年上でほぼ同世代だ。


祖父が酒乱で実の母へDVをしかけた脇で幼少の頃に育った。それで自分には深いトラウマがあると悩みを彼は告白していた、、、


たいてい否定的になるのは理由があるのである。


その時、Y先輩自ら仰ってた。創始者から組手をしていただいた後に、知るはずも無いトラウマのことをズバリ!指摘されて”内観”をして癒するようにと言われたというのだ。


とにかく、Y先輩は鼻につく嫌らしいネガティヴさはあった。他方では彼には素晴らしい感性と音楽性をもっていた。

家に行けばいわゆる前衛音楽として分類されるロックやクラッシックのCDやレコードが店を開けるほどに、部屋一杯にあった。脇にはペットボトルや本が散乱していた。


だから、そういう暗さや否定性も単なる浅はかなそれでなくて、繊細にして深くて力強く人の存在を落ち込ませるほどの強烈なネガティブ・パワーも持っていた。

これは実に大切なエナジーであると今は思う。

ただし、自他に向かうはよろしい筈もなく、稽古の道の創造へ昇華していくためのエナジーとしてである。


自分の中でも稽古の土台の一つは否定のエナジーであって、徹底的に固定観念を疑うことであり、常識を信じないことであり”大疑団”をいつも置いている。

それはY先輩とは全く違うがニコニコ笑い飛ばせるかであると思う。

笑いのスピリット!!

天高くカラカラと腹から湧き出し、もーう自然に笑えてくる、そのスカッと晴れ渡った、しかし大疑団の澄んだ心は最高のツールと思う。

ここから”真実在”まで迫っていく道が開かれて新たな創造という生命の道が開けていくと思うからである。特に音楽や絵画など”芸道”や宗教では全否定・大疑団の道が無くなったら終わりだろう。


今は春で生物はカエルでもスズメでも雑草でも生命の賛歌を精一杯に歌っている。それは冬(死)と言う一見にして厳しいが、土の中はポカポカとあたたかい、厳しい時期であるが生命が死に限りなく近づきつつも、独りジッーとして耐えて大いなる休養の時期を通過したからに他ならない。


こうやって生死、陰陽、春夏秋冬などグルグル行ったり来たりしてるうちに、ネガティブY先輩も仰ってたろう「常に変化し続けながら永遠に変化しないもの」に気づけるのかもしれない。


昨日は、6日に一度の水ナシのドライ完全断食の日だったがそんなことをなぜか急に思い出してネガティヴY先輩へ感謝したのだった。


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