見出し画像

【悟後の修行(稽古の日常化)】

御嶽山の王滝口を開いた普寛上人 の故郷の秩父大滝村にての滝行後に瞑目していると“魔境”に入り抜けられなくなった事がありました。もうそれは非常に危ない意識状態だったと思います。

その虫の息となっていた状態で最後の最後にもうダメだー!となった時に響いてきたのが

「許そう、許そう、許し尽くそう~」

という慈愛の女神(大自然)の永遠・無限なる”響き”でした~。

その響きに導かれて劇的に執着していた心はほどかれていきました。凝り固まり自縄自縛の意識は広がりに広がっていきました。あっという間に無限へ永遠へ大きく解き放たれていきました。

一切と融けあい境界は消えていきました。

登ってきた山道、山川草木という大いなる大自然とパーフェクトに一体となり、稽古着、電気、言葉、空気、大宇宙一切合切の存在と一体となり、さらにはそれらはガラガラと崩れ去り、最後には観察者である超体験している己(心)がパッと消えていきました、、、

世界そのものが完全に消滅するという戦慄の神秘体験をしました。

THE・END、、

今振り返れば、完全に向こうから一気に引っ張り上げられた体験だったと思います。

自力では何にも出来ないお手上げの虫の息だったのですから、こんな戦慄の虚空世界へは怖くて怖くて自ら入りたいとは間違っても思わないでしょう。

そんな覚悟も勇気も全くないどころか、その離脱するための禅定力も全く無かったわけです。

そもそも人間的な範囲の禅定力で入れるなんて笑ってしまうものでしょう、、、

そこから戻って来た時には茫然自失にして何億光年も旅をして帰って来た如くでした。一切の存在があるがままに映っているわけです。

十牛図の第九図の返本還源(へんぽんげんげん)そのまんまです。

そこから数ヶ月間茫然自失は続きました。

日常生活の中でもうどうなってるのかさっぱり分かりませんでした。

一体何が起こったのか?
自分はどうなってしまったのだだろう?

いつまでも全く整理できないのです。

号令かけてる時などその体験が生々しく始まってしまうのですがブルブルと底の底から震え上がりました。それは戦慄の体験だったのです。自分で何としても止めていました。

つまり、そちらに向かうということは人生を捨てる、この世界を捨てる、己(心)を捨てるという事と同等でありました。

しかしながら、二年前のネパール大地震後に、なぜだかもうすでに救援活動を自分で手を
「ハイッ!!」と上げてしまっていました。友人と共にヤルゾー!と、、、師匠や道友に救援を求めて、義捐金を募り、救援活動をしている状態となり、それは日本からの怒涛の義捐金と共に続き続き、、、

余震の中で続き続き、、、

第二回目のM7.3 の大地震が起り、、、

さらに続いて綱渡りの命がけの活動とほとんど眠らなかった事もあり自然に己が消えていきました。

自分の中ではよくよく知っていた ”無限の許し”ということを受け入れざる得なくなったのでした。

つまりは「世界は無い」と言うあるがままの”真実”を受け入れたのです。

これで良いのだと10年後に整理がつきました。

無限の許しとは何か?

世界は無いということ、形あるものは無い、名前も無い、木村悟郎(己)も無い、友人も無い、電柱も無い、電気も無い、家庭も無い、文化も無い、伝統も無い、社会も無い、国も無い、石ころも無い、華もない、山川草木も無い、自然も無い、星も無い、ブラックホールも宇宙も、心も意識も、何もかも一切は無い、、、、すなわち、ありてある存在の真実、本来無一物(天真)を底の底から受け入れていくことだと思います。

それを日常の場面場面でコツコツと一つ一つ実践して行くことにより、その”無限の許し”から「一」なる救いへと導かれると今は確信しています。この人類の深い悲しみも恐怖も罪悪感もビクビクとして底では怯えきった人間様、この愚かなる人間様をすべーてパーフェクトに解き放ってくれると思います。

ゆえに、許そう許そう一切を無限に許しつくそうという事なのです。

最後に一番大切なことですが、この”無限の許し”は天真(真実、生命、シャンカラ、ブッダ、キリスト、女神、聖霊など)と共に、確固たるそれへの”信”がなければ不可能と思います。

なぜなら、無限の許しは自分が自分で対象を許すことではありません。自分も対象も消えていかなければなりません。

もっと言えば、天真に依頼してハッキリ意志してそれを行って頂くのであり、自分が出る幕はありません。自分を空っぽに空っぽにしていく道だと思われます。

真実がどこまでもどこまでも自分を通してお働きくださる道だと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?