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娑婆という夢物語り

▼娑婆という夢物語の中で日々われわれは懸命に生きている。この娑婆世界は、飴と鞭、緊張と解放、恐怖と安心、成功と失敗、苦痛と快楽、問題と解決などなど、己が主人公の夢物語とも言えよう。

▼ホラー映画を観てる最中は怖くて怖くて二度と見たくないと思うのも束の間、
もう一回観たいなんて思う。刺激がたまらない。同じ所同じ世界同じパターンを一見多様な姿で、面白おかしく見たい。クルクル回る回転木馬。

▼何度も何度も何千回も何万回も同じことやってきたが、自分から手を上げてハイッ!もう一回やりますーーー!な~んてまたまた戻ってきてしまう。いかにも馬鹿げているお遊び、それが娑婆なのである。

▼周りの友人やら仲間・スタッフたちは"真実在(永遠・無限)"には全く興味ない。ただただ酔っ払っていたい。偶像や象徴を崇拝したい。形あるものに心より耽溺したい。いくら働きかけても何も変わらないョーーー。

夢物語の中の夢物語である。

▼さて、一緒に共に10 年ネパールで頑張ってきたネパール親友は「もーう嫌だ。うんざりだ!お金も時間もエネルギーも全てが無駄であったーーー!全てたたんで独りで外国で暮す。あとは頼んだよ!」と言い放った。

▼本当に疲れてくるとヒトはそうなる。その心は深く理解する。ベテラン稽古人でもよくあるねーー。

『何十年もやってきた稽古生活は失敗だった!!』

全ての稽古体験などは幻影だったと言い出す始末。よくあるパターンである。

▼それこそが夢物語の夢物語(迷妄)。見事に幻影に嵌っている。夢の中で疲れたフリして、疲れた夢をわざわざ投影しつつ、最後には、ご丁寧に一切合切をネガティブにゴミ(不平不満)を撒き散らしつつ破壊する。

▼ベテランになっても仮幻と実在を根本的に識別できてない幼稚さである。なんてことない。ハッキリ言えば、稽古人なんていう名前は付いてるが、中身はただの駄々っ子である。

三歳児が癇癪起こして、積み木やパズルを途中でぶち壊すとか、、ゆえに全ての努力と数十年の積み重ね水の泡。あっさり捨ててしまう人はまた多い。

▼全く持って欲深く業が深いのである。

お金の問題、家族の問題、恋人の問題、友人の問題、親戚の問題、仕事の問題、プライドの問題、師との関係性の問題、道友との関係性の問題、組織との関
係性の問題、病気の問題、大怪我の問題等々、要は実在しない夢物語。

▼ただ己で投影してるに過ぎないと気づいていく人。クールに見つめて稽古を淡々とただ続ける人。他方、幻影に引き釣りこまれる人。バッチリと世界を断片化して、己を孤立化させていく人。ポーイ!と稽古を捨てちまう人。

▼二元世界という酔っ払いの心地よい世界。夢物語の中でお子ちゃまは飴をいつまでもペロペロしゃぶっていたい。シャブ中毒者が幻影世界に嵌って抜け出したいが抜け出せない。彼ら彼女らが何度も何度も戻ってきてしまうと同じくである。

ただの正気を失った酔っ払いだー。

▼だから根本的に問題(分裂)は始めから全く無い事を知らないといけない。なぜなら世界は無いからだ。真実は不二(ふに)である。

眼から梁を取り除きなさい。
真実と共に無限に許す。

有無を言わさず直ちに離れようー。
握りしめた物を、すっかり手放そうー。

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