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生と死(2017-02-24)

 一昨日は早朝4時に起きて瞑目してからシヴァプリ国立公園へ滝行へ向かった。その日はシヴァー誕生祭でありウチの周りは交通規制が厳しく一日家に居ないといけなくなるからだった。

 交通規制で家に戻ることも出来ないので山にて滝行三昧、一日三回の入滝を行った。

 ネパールの滝は野性味溢れて純粋であり峻烈、春先は日中は暖かい分、さらに水が冷たく感じられて厳しかった。二回目の滝行は滝場に虹が美しくかかっていた。入滝は厳しかった。

 フッと気づくと目の中に眩い虹の光が輝き始めていた。

 さらには頭上も前も後ろも虹、虹、虹で囲まれて無限かつ無数の大小の虹の光がそこらで渦巻きキラキラ輝き始めていた。こんなに恍惚とする素晴らしい体験をいいのに~?!と思いつつも、こういう神秘体験は何度も体験してきたので別に執着も無くただそこへ全身全霊で有難くダイブした。

 無限かつ無数の渦巻く虹の光と融けあい突き抜けていき、空無へと己も一切も消えていった、、、

 今回の入滝は「人類の深い悲しみ」、即ち己の無意識深くに巣食う象徴としての「深い悲しみ」といかに向き合い共にあり超えていく(救済)かだったが、虹の無限光により吹っ飛んでしまっていた。スカッーとどこまでも突き抜けていった。どこにも深い悲しみなど探しようも無かった。

しかし、入滝後しばらくした時だった。

アッー!これはヤバイ!!
己の身心の異変に気づいた。

 神秘体験にはクールであったつもりが完全に滝に入りすぎていた。心身ともにズブズブと存在が押し潰れていく感じであり、バタンと寝転がると体ガタガタと震えて歯はガチガチ音をたてて止まらない。手足は痙攣してバタバタと勝手に動く、、後悔先に立たず。

ここで死んだら山中で迷惑かかるナ~と思った。
滝行者として完全に失格であり滝行を舐めてたナ~。

ここまでお陀仏に近づいたのは初めてだろう。

本や映画で見聞きした冬山登山の死者の様子が思い浮かんでいた。それでも死ぬときは死ぬときだ。執着や恐れは全くなかった。

 今までも何とかなってきたしなるようにしかならない、、、

 自分はバタバタとのた打ち回り押しつぶされて、ブラックアウトに向かいつつ七転八倒だった。すると、なぜかウチのある若きスタッフの深い悲しみが思い出されていた。

 真実(生命、霊、天、真理)の導きで取り払われるようにーー!!!

 自分にもわれわれにも深い悲しみは取り除くことは全く出来ない。しかしサムシンググレートの”無限の許し”によりこの悲しみの幻影の根本的な消滅(ゼロ化、無相、絶対無)は即座に実現するだろう、、、

 のた打ち回りながら一心に何者かへただただ祈っていた。

 それで、フッと気づくと鳥の囀りが聞こえて風の音や太陽の暖かさが身体に感じられていた。向こうまで広がる森の葉が海の漣(さざなみ)のようにキラキラと揺れて輝いているのが目に入ってきた。

 なんとか生きて返れたのに気づいたー。

 そういうこともあり、三度目は入滝前に足腰の鍛錬をしっかり行い、重心を降ろして、心を落ち着けて集中して入った。

 ある方向性が見えてきた。それは大地震後の救援活動で掴んだことと同じだった。

 しっかりそちらへ向かいもう逃げることなく底の底から、世界は無いという事、つまり全存在で真実在(神、絶対有、ブラフマン)を受け入れて生きていく決心がついた。

天真(真実在、真理、霊)と共に無限の許しがただただあるのみ〜。


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