おなかの日記帳(1)
こんにちは、おなかぺこぺこすき太郎です。
やっと重い腰を上げてnoteに登録したので少しづつ書いていこうと思います。
第一回は、大好きなパンクロックと自分との関係について話したいと思います。
衝撃的だったBLUE HEARTS
パンクロックとのはじめての出会いは13歳の冬だった。父親の書斎にあったBLUE HEARTSのベスト盤を何気なくCDプレーヤーにかけたのがきっかけだった。
プレーヤーから流れるシンプルなサウンド・甲本ヒロトの野太い声に衝撃を受け、電気が走り頭の中で何かが産まれる音が聴こえた。
四人の音は、言葉は、振る舞いはひたすらに自由だった。そしてその姿はひたすらにカッコよかったし、こんな風な生き方もあるんだと言って貰えたのが本当に救いだった。
そこからは時間が許す限りたくさんの音楽を聴き漁った。ピストルズ、クラッシュ、ダムド、ラモーンズ、パティ・スミス、ジョーン・ジェット(書ききれないくらい他にもたくさん!)
当時の自分は感情や意見を上手に表現するのがすごく苦手な子供だった。
すぐ不機嫌になる母親、馴染めないクラス、支配体質の部活のコーチ、顔を合わせれば大喧嘩する姉と父。とにかく周りの人の顔色を伺うことばかりに慣れて自分の感情を表に出すのが苦手になっていた。
とにかく無難に、真面目に、怒られないようにわがままを言わず禁欲的に過ごす生活に閉塞感を感じていた自分にとってそれは衝撃だった。パンクロックを聴いてる時は嫌なことを考えなくて済むし無敵だった。大人に使っちゃいけないって言われた悪い言葉を使ってもよかったし、心の中で親や先生に言い返したり、嫌な奴を頭の中でボコボコにできたし、嫌なことがあっても音楽の中に逃げ込めた。
友達が居なくて学校に馴染めなかった学生時代も生きるのが苦しくなって引きこもりのような生活をしていた時期もそして今もずっとパンクロックに助けられて生きている。
パンクロックのテーマとしてよく「反体制」「アナーキズム」「快楽主義」「暴力」などの過激で物騒な言葉が挙げられるが自分は、このどの言葉もパンクの一面的な部分で本質ではないと思っている。自分にとってのパンクとは「自分の人生に責任を持って生きようと頑張る全ての人間を肯定すること」だと思っている。例えそれが、元犯罪者でも、どんなダメ人間でも生きたいと願う人全てを肯定する、それが自分にとってのパンクの解釈だ。
自分の信念や人間性を否定する対象とは徹底的に戦う。それは時に暴力的に見えるし、時に非常識にみられることもある。それでも何を言われようと戦う、それがパンクだから。
https://open.spotify.com/playlist/4FcmArb5gu8OWIvMUGxCab?si=AVSm2ow9Q4G0xKShKh1kxA
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