見出し画像

床を拭き上げる

昨日更新しようと携帯を持ち上げたはずなのに、、
すっかり忘れてしまった。
普段パソコンから投稿しているからもあるだろう。
寝る前にあっと思ったけれど、寝る体制に入ったらもう無理。
なんとか朝と夜の英語の勉強の習慣はついて(それでも、たまにうっかりしそうになる。ルーティンは大事だと感じる)
というわけで、今朝は携帯から投稿してみる。してみるけれど、持ち上げたらマンガ読んでしまった。なんでこう無駄が多い?ぼんやりして道も間違えるし。この道ショートカットできる?と覗き込んでいたら不審者に間違えられたか、おばちゃんに声をかけられ、通り抜けできないかなーって、って正直に言ったらアハハと笑われてしまった。
そんな朝だけど、朝は光で目が覚めて微睡む時間が心地よかったし、なんせ年長娘が寝ぼけてベッドに潜り込んでこなかったからゆっくり眠れた。
昨日は午前の仕事の後、無性に掃除がしたくてしたくてしたくなり。フローリングの掃除機で吸っても吸っても埃が残るのと、クイックルワイパーで仕上げしてもやっぱり残っているのが気になっていて、その気になりが止まらなくなって、『あーっ 床拭きしたい!!ピカピカに拭きあげたい!!』の欲望に変わって、琺瑯たらいにEMWと水をドバッといれてチョキチョキ切ったウエスをどさっと入れて、トレパンに履き替え、テンション上がる洋楽をテーマに音楽をかけ、掃除スタートした。


これ、地球にもやさしくてお気に入り。害虫を寄せ付けないし、なによりも汚れがスルッと落ちる気がする。キッチンに1本、洗面所に1本常備している。

玄関から始めて、玄関外のドアを拭いて、その汚れっぷりに喜んで、かがみ込んで虫の目になってほこりを取り、子どもたちの部屋では棚の下に手を突っ込み、ベッドを動かし、と時間が許す限りした。
帰宅した小5長男が、『俺もやる』と言ってくれたので、一緒に椅子やテーブルを動かしてリビングとダイニングを拭きあげる。学校で雑巾掛けをしているらしく、なかなかしっかり拭いてくれる。掃除するときに物をどかす、という意識がないのかその下を掃除しないので、どかしてごらんと声をかけると、やっとそのホコリが目についたようで、悲鳴のような声をあげながら拭く。2人でどのくらいウエスが汚れたかを見せ合い、労い、また椅子とテーブルを元に戻す。掃除しているところを子どもに見せるって大事だなと改めて実感する。つい人がいない時を狙ってるわけではないが、人がいない方がパーっと掃除ができてラクなのだ。でもいるときにしないと、どう掃除しているか見せられない。そんな当たり前なことを実感して、今朝もわざわざ子どもたちの前でトイレ掃除してきた。が、バタバタな子どもたちに『わたしもやるー』なんて余裕はない。
帰宅した旦那に息子の雑巾掛けが上手だったこと、床が綺麗になったでしょ?とわざわざアピールするが、娘の洗濯物を確認したときにポケットから砂がザーッと床に落ちる。
と、翌朝にはもう足裏に気持ち悪さを感じる。宝塚音楽学校のイメージのようにヘアピンで掻き出して徹底的に掃除するか?そのために飲まない牛乳買ってくるか?(イメージ川原泉【笑う大天使】。知ってる?)

買ってこないけど。EMWで十分だし。それだけホコリがすぐつく理由として、子どもたちが砂埃を持ち帰ってくる以外にも、一日中窓を開けっぱなしというのもあると思う。本当に風の通り道がいいのだ。夏でも、ここ大阪だというのに、エアコンが滅多にいらない。吹き抜けるのだ。
だから今朝はもう拭きたくなっている。それをグッと堪えて、出かけてきている。
掃除は嫌いではない。片付けも嫌いじゃない。して当たり前と思われるのが嫌いなのだ。そんなことを思っていたからだろうか、iphoneに今日の画像で小さな娘が掃除機をかけているところが出てきた。そのまま娘に見せると、『掃除してるのー?』と嬉しそう。当時のコード付きの掃除機はもうないけれど、絵的には掃除してる感があっていい。ダイソンに買い換えようかと思いがよぎっていたけれど、重くて子どもに任せるのは無理だな、と諦めもついた。マキタの掃除機も十分いい仕事してくれるしな。自分でも掃除する。人にも任せられる。そのペースができるようになったらいい。ここまで書いたら、昨夜お風呂に入っている時に読んでいた本が思考現実の一端の本で、なりたい自分を想像し潜在意識に刷り込む、というちょっと懐かしい文章があって久しぶりにやりたいなと思っていたことを思い出した。
そうでしたそうでした。あと30分くらい時間あるし、手帳を引っ張り出して、ちょっとやってみるかな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?