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学生寮物語 13

13 406号室酒乱事件

 寮生活で生起する出来事はいいことばかりではなかった。
 今回の酒宴の席でも、「406号室酒乱事件」が持ち出された。当時406号室の住人であったおいどん本人に1学年下の後輩寮生が真相を尋ねたからである。酔った本人は忘れていることが多いので、事件の傍にいて全貌を知っている翔(かける)が解説した。
 それはおいどんや翔たちが入寮した翌年のことである。
 寮前の桜が既に葉桜となった頃、寮ではその年の新歓コンパが終わっていた。だがその後も何かと理由をつけて、寮生たちは酒を手に入れ、各フロアーや各部屋単位で自主的に小さな新歓コンパの続きを催した。寮生たちはよほどの酒好きか、暇人の集まりだったのだろう。
 406号室の四人部屋でもそんな宴会があった。
 その日は同室の3年生、吉村と石塚が同じバイトの給料が入った日だった。
 二人は今年やっと成人した同部屋の後輩二人のお祝いをしようと話し合った。それほど普段から仲の良かった四人だった。
 406号室では新成人を迎えた二人、おいどん(高山)とイケメン(臼井)のための熱烈歓迎パーティが催された。つまみは干した鰯とするめだけである。
 まずは祝杯を挙げようといってラーメンどんぶりに先輩二人が買ってきた安い日本酒を注いで、順番に飲んだ。固めの杯か、契りの杯のように。
 新成人のおいどんは不屈なジャガイモのような顔つきだが酒も強かった。逆にイケメン臼井は歌舞伎の女形のように色白で、口調も態度もおっとりとしていた。酒どころ新潟の出身だったが酒には滅法弱く、一口呷るとすぐに寝てしまうのだった。
 案の定、イケメンが寝込むと日本酒は安いウイスキーに変わった。ついには残った三人で飲み比べを始めてしまった。
 先輩二人は気分が良かったのだ。
 自分の労働の対価として金を手に入れ、いつも可愛がっている少し生意気な後輩の、大切な冠婚葬祭を自らの手で祝えることに気分が高揚していた。
 後輩たちも感激していたのだ。
 先輩たちの貴重なバイト料から、自分たちの成人を祝ってもらえるなんで露ほど思ってもいなかったから。二人とも田舎が長崎と新潟と遠かったので、地元の成人式には参加していなかった。
 京都出身の吉村は途中からめそめそしながら、
「新成人おめでとう」
といいながら酒を飲んでいた。
 滋賀の石塚は京都の吉村が泣くのを見ては、
「なくほどのことじゃねえだろ」
と笑い転げて飲んでいた。
 酒豪のおいどんは感謝の言葉をいった。
「うったまげたで。ばってんばちかぶりそう」
 おいどんは始めは嬉しそうに酒を飲んでいたが、その量が増えてくると、目が座った。ついには炬燵のテーブルを叩いて先輩たちに何やら説教をし始めた。
 普段の生活や学問、人間の生き方等々、話題は止めどもなく多岐に広がっていくのである。先輩の二人は黙って嵐が過ぎるのを待っていた。 
 しばらくして406号室が大騒ぎをしていてうるさいという苦情が当時の寮長で4年生の横山一弘の元に寄せられた。横山は青森県の十和田湖の近くから来ていた。さらっとした髪を斜めに流し、目鼻立ちがはっきりした元祖イケメンだった。
 402号室で寮長と同室だった翔は何事かと思い、横山と一緒に現場を検分に行った。なんとそこは修羅場で、魑魅魍魎が跋扈していた。その名は酒呑童子四天王だった。
 一人は座ったまま、へらへら笑って真っ赤になった電気コンロを振り回している星熊童子(ほしくまどうじ-肌色の鬼)だった。二人目は床を叩きながら俯せで泣きじゃくる熊童子(くまどうじー青鬼)だった。三人目はその二匹の鬼を目が据わった状態で見つめ、握り拳を震わせて真剣に怒鳴っている金熊童子(かねくまどうじー赤鬼)だった。最後に奥で顔を真っ赤にして高鼾をかいている虎熊童子(とらくまどうじー白鬼)がいた。
 横山は一瞬驚いた表情を見せたがすぐに大笑いを始めた。
「みごとに揃っているな。泣き上戸、笑い上戸、怒り上戸に下戸までも」
 翔は水族館で知らない魚類を見るように、まじまじと四人を眺めまわした。
「おい、おい」
 横山は起きている三人に呼びかけた。三人は寮長の方を見た。
「お前ら、いい加減にしろ。うるさくて周囲が迷惑している。お前らはまだ二、三年生で実感がないだろうが、俺も含めて他の部屋では四年生が卒論や卒業制作を始めている時期だ。新成人を歓迎するのはいいが、他の部屋の迷惑にならないように飲め!」
 横山がそう一喝すると三人は我に返り、一気に静かになった。
 星熊童子(石塚)は振り回していたコンロをおずおずとこたつの上に戻した。コンロが赤くなっているのに気が付き、慌ててコンセントを抜いた。熊童子(吉村)は涙を拭きながら俯いて、小さな声で、
「スイマセン」
と言った。金熊童子(おいどん)は驚いたように周囲を見回し、胡坐から正座に座り直し、元高校球児らしく大きな声で、
「すんませんでした」
と謝罪した。石塚もそれに付け加えるように
「えへ、すみません」
といいながら片づけを始めた。だが笑い上戸のせいか、そのときも「へへへ」と笑っているような顔つきで真剣みに欠けていた。
 翔たちが部屋に戻ってしばらくすると、今度は三人の笑い声だけが聞こえてきた。
 翔はなんとなく嫌な予感がした。
 


 

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