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学生寮物語 14

14 懲りない男たち
 翌日の早朝、寮長の横山一弘に女子寮から抗議が入った。
 四〇五号室のイケメン臼井が布団に包まれ、女子寮の二階に投げ込まれていたという。いわゆる布団蒸しだ。
 犯人は明らかだった。
 副寮長で三年の姫川あかねは四〇五号室の住人と寮長を食堂に呼んで厳重に抗議した。どう言う訳か被害者だった臼井もそこにいた。
 それは抗議というより公開説教だった。
 翔はすぐにその女子大生は新歓コンパで長いこと自分が見とれていた副寮長の女子大生だと分かった。その瞬間、
「鬼の姫川は怒るときついから気をつけろ」
というどこかの先輩の言葉が脳裏に蘇った。
 「吉村! 石塚! あんたたちは上級生でしょ。学生寮は男女が併合しているから、男女のけじめが肝心なのよ。大学生にもなって、そんなことも分からないの! なんて情けない。いったいこの二年間、あんたたちは何を勉強してきたのよ」
 姫川女史の憤りは収まりそうになかった。そして女史の矛先は405号室の下級生にも向けられた。
「君たちも先輩に誘われたからといったって、いいなりになってんじゃないわよ。大学生なんだから自己責任というものが問われる年齢なのよ」
 新成人たちはパイプ椅子の座席に埋もれてしまうほど小さくなっていた。その後も、女史は四〇五号室の男子寮生を研ぎ澄まされた矢で次々と射貫いた。言い訳や反論など決して許さなかった。
 そうして自分の興奮が収まるとさっさと女子寮の自分の住処へ戻っていった。女子寮からは数名がその場に立ち会っており、彼女たちもすっきりした表情で付いて行った。
 新入生の女子寮生たちも食堂の入り口の陰から遠巻きにその光景を眺めていた。それは女子寮の意思統一の固さ、強さを感じさせた。こうして女子寮の伝統が継承されていくのかと思うと翔は少し怖い気もした。 
 女子軍団が去っていった後、寮長の横山が405号室の寮生たちを諭すように話し始めた。
「男女がいる寮自治会は全国的にも珍しいんだ。男女がお互いに尊重し、規律を守って自治会を運営していることがわが寮の特徴でもあり、誇りでもある。みんなの生活を守るためにも、この寮を守るためにも、寮の規律を守ることがとても重要なことなんだ」
 入寮式でのガイダンスではよく分からなかったが、この話は腑に落ちた。翔が高校生までに感じていた上からのお仕着せのルールではなく、どうすれば自分たちが幸せになるかを考え、信頼の上に作り上げてきた規律なのだということを。
「吉村と石塚は寮にいてよく知っているはずだ。この寮自治会は全員加入制だが、加入を拒否している寮生もいる。だがそんな寮生をわれわれは追い出すようなことはしていない。共同で生活をする仲間だからだ。だから、羽目を外してもみんなに迷惑を掛けちゃだめなんだよ」
 優しく熱心に語る寮長の話を聞いていた翔は、自治会は、自分たちの生活を守るために必要なのだと改めて理解した。
 このことは「405号室酒乱事件」と命名され、あっという間に全寮に広まった。教訓として、そして笑い話としても寮の歴史に足跡を残した。
 だが肝心の405号室の寮生に、寮長の珠玉の言葉はどこまで響いたのかは定かではなかった。
 みんなで思い出話に花を咲かせていると、あっという間に終電の時間が来た。それであっけなく宴会は収束に向かった。鈴子は「泊まっていってもいいよ」とみんなに言ってくれたが、さすがにそれは遠慮した。
 懐かしい思い出を語り合い、おいしい食事をいただき、気持ちよく酔える酒を飲んで、みんな満足をしていた。
 何より、肺炎の死に際からみごと復活し、癌との闘い方を講義してくれた安岡の顔を見たことで、みんな一時的ではあるがほっとしていた。
 帰りは、遠隔地の寮生が早めに退席した以外、駅までみんな一緒に向かった。鈴子も一緒に駅まで付き合った。翔はみんなで全寮連のデモに参加した帰りには、こうしてみんなでいろいろおしゃべりして帰ったことを思い出した。
 駅ではみんなが鈴子を励ました。翔は、1学年下の鈴子は、字が上手で、無口で酒豪だということ以外に知らないのでどう声をかけていいものか分からず、
「体に気をつけて、安岡と一緒に頑張って」
と励みにもならない声を掛けた。
 十分に頑張っている彼女にこれ以上頑張ってはないだろうと思ったが、それ以外の言葉が浮かばなかった。
 鈴子と別れて、すぐに金城の妻さやかが、携帯を忘れたことに気づいた。さやかは鈴子と二大酒豪と呼ばれ、前後不覚になることは決してなかった。
 しかし今日は鈴子を見て、きっとさやかも心を痛めていたのだろう。携帯をなくした場所すら覚えていなかった。すぐに金城が別れたばかりの鈴子に携帯で連絡を取って、時間があるときに探してくれとお願いした。
 「疲れてんのに、余分な心配をかけてしもて、すまんなあ」
と金城が、鈴子に謝っているのを横で聞いていたさやかもすまなそうな、悲しそうな顔をして俯いていた。
 


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