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学生寮物語 16

16 最終兵器A1号 
 相手はやることなすこと全てがはまり外野のファインプレーまでも飛び出す始末。これは負ける典型的なパターンだった。
 相手チームのエースはサウスポーで、右打者のアウトコースのコントロールが抜群だった。インコースのストレートでバッターを詰まらせたり、カーブで空振りを誘った。そして仕上げはアウトコースのストライクゾーンの出し入れで三振を奪った。5回まで手も足も出なかった。
 選手を硬くしているのは、勝たねばならないと考えている顧問の自分のせいではないのか。選手たちも負ければ終わりだと考えているから身も心も委縮しているのだろう。
  これまでひたむきにソフトボールに取り組んできた生徒たちに本当に大切なものは何か、翔はしばしベンチで考えた。
 以前、自分は部員たちに「成功体験とプライドをあたえたい」と考えていた。だが勝つことだけが成功なのだろうか。勝たなければ持てないプライドとは何なのだろうか。
 成功体験とは自分が必死に努力してきたことでヒットが打てたり、守備が上手になったり、盗塁が成功したり、三振が奪えたり、そうした成果を体験し、自信を積み重ねていくことではないだろうか。それが自己実現につながり、自分らしく生きることに集約されていくのではないだろうか。それが彼女らの人生の生きる力になるのだ。
 だが、それが単なる個人の努力の成果であれば、そこで自己完結を果たして終わりである。しかしその成果をチームとして一体化して生みだすことができれば、予想以上の大きい力を生み出し、状況さえも変化させることができるのではないだろうか。ほんとうに仲間を信頼しなければ生み出せない力でもある。
 それは単純な足し算ではない。予想のつかない広がりをもつかけ算なのだ。それが翔が寮生活で得た大切な学びではなかったか。翔はこの試合の流れを食い止める方法を必死に考え始めた。
 今までのように3年生エースMに交代しようか。でも今までの方法でしのいでも、この試合の流れは変わらないだろう。予想できる結果は人間の打算を生み、諦観をも招く。ここで必要なのはかけ算だ。みんなが前を向いて生み出す×αの力だ。
 翔は主審にタイムを要求した。
 ライトを守っていたキャプテンAをマウンドに送った。2年生ピッチャーNはそのままライトに入った。
 その選手起用に相手も、味方さえも驚いた。
「何も考えるな。いつものように相手に向かっていくお前の気持ちをぶつけてこい」
 翔はAの表情に注目した。
 Aの両方の眼には闘志がみなぎっている。相手に挑む強い意思が宿っていた。
 Aの性格は気が強い。それに比べて3年エースのMは気持ちが優しく、みんなに好かれる性格だった。だからみんなからキャプテンに推薦された。しかしMが、
「わたしはAさんがいいと思います。彼女の気持ちの強さがこのチームには必要だと思います」
賢明な判断だった。それを聞いて、みんなも賛同した。
 ベンチに戻った翔は胸の内で「これでいい。結果などは二の次だ」と思った。
 N中ソフト部には3年のMと2年のNという各学年のエースピッチャーがいた。
 3年生エースのMは小学校からソフトを経験していた。たまにピッチャーもしていたが球威があまりないので、コースに投げたり、チェンジアップなどの変化球で打たせて取るタイプだった。しかし昨年の新人戦ではエースで4番の彼女が投げ、彼女が打って、20近い参加チームの中で、三位を獲得した。
 一方2年生エースNは入学したときから、運動神経がよく、足が速くバネがあり、投げる球のスピードがかなり速かった。しかし中学校から始めたせいか、コントロールがなかなか安定しなかった。
 ソフトボールでも連投を続けるとやはり肩や肘を故障したり、ブラッシング(腕を回してボールを放す直前に腰や足に腕をぶつける)のために手首や腰や太ももなどを痛めたりする。だからいざというときのためにも、さらにピッチャーは必要だった。
 キャプテンのAが自らその役目を担った。練習後もチームメイトとピッチング練習を行い、家でも父親にキャッチャーを務めさせ、投げ込みをした。そして短いイニングなら十分にその役目を果たせるまで成長していた。驚きの進歩と努力である。
 いつも真ん中以外は投げる気がないみたいな思い切りのいい強気のピッチングが身上だった。それが今回、秘密兵器A1号となった。チームのみんなもキャプテンA1号を信頼していた。
 幸いにも彼女は地区の練習試合ではほとんど投げていなかった。相手は様子を見ようと彼女の投球を見送っていた。ところが2ストライクとすぐに追い込まれた。相手チームはどんどんストライクを投げるA1号に茫然自失だった。
 A1号はまるでドラマの筋書きみたいに、見事に相手バッターを押さえた。チームのみんなにも生気と勇気がよみがえった。
 彼女自身は気付いていないだろう。みんなは知っていた。気は強いが不器用な彼女は、キャプテンとして、4番バッターとして、リリーフ投手として、チームにふさわしい選手になるために、陰で人一倍努力してきたことを。だから彼女に何の違和感も抱かずにすべてを託すことができたのだ。
 彼女自身も自分が思い切って投げられるのは、みんなが自分を支えてくれることを感じていたからだ。お互いの信頼があったからこそ、生まれた×αだった。秘密兵器A1号はついに最終兵器へと変貌を遂げた。
 試合の流れは完全に変わった。
 

                


 



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