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学生寮物語 11

11 ミイラ男
 酒宴の席では、めいめいが隣同士で自分の近況や安岡のことについて語り合っていた。しばらくして金城が、
「みんな覚えてるやろ。おれらが1年生のとき、全身に包帯を巻いた怪人ミイラ男がいたこと」
 昭和52年度卒業の同級生たちはすぐに誰のことか分かった。
 入寮して、寮自治会や行事などのガイダンスがあった。寮生自身が生活規則や約束事、年間スケジュールなどを決めて生活しているということを初めて知った。
 入寮当初は新歓パーティーがあったり、寮自治会のこれまでの歩みや施設の使い方をレクチャーされたりした。
 お風呂はもちろん男女別々だった。そのガス釜は寮生がマッチで直に点火するマニュアルタイプの年代物だった。
 操作の手本を運営委員会の先輩が行った。あっけなく点火できたので、みんなもその通りにできると思った。
 かつて理科の授業でしつこく教科担任が繰り返していた言葉を思い出した。
「火を使う実験のときは次の五つを守ること。一つ、ガス調節ネジが閉まっていることを確認すること。二つ、次に元栓を開けること。三つ、コックを開けること。四つ、ここでマッチに点火すること。五つ、最後にガス調節ネジを徐々にゆるめて点火すること。これは命にも関わることだからテストにも出すぞ!」
 ところがひと月もたたないうちに、悲劇は起きた。
 夜になって慌ただしく救急車のサイレンの音が寮の玄関前に響いた。
 何事かと思って翔が慌てて下に降り、玄関付近にいた2階の同級生に事情を聞いた。
 突然、風呂場から爆発音が聞こえたという。慌てて同室の先輩が様子を見に行くと風呂当番の寮生がうずくまっていたらしい。だからすぐに119番に連絡したという。
 どうして大爆発を起こしたのかみんなわからなかった。
 全身にガス爆発を浴びた彼はすぐに救急車で病院に運ばれた。寮生は事故のことを知って彼を心配した。きっとそのまま入院するだろうと思っていたが、彼は夜遅くに帰寮した。
 翌日、食堂で朝食をとっていると同室の先輩に付き添われて、寮に常備されている車いすに乗せられた彼が男子寮の扉から入室してきた。
 顔とTシャツから出た両腕が包帯に覆われていた。まるで全身が包帯に覆われたミイラ男のようだった。
 食堂にいたみんなは食事に来た彼を見た。はじめ心配そうに声をかけていた。だが話を聞いていくうちに火傷の範囲も程度もさほどひどくなく、かなり大げさに包帯が巻かれていることを知った。それでみんな安堵の表情を浮かべた。やがてその奇異な姿にクスクスと笑う声があちこちから聞こえてきた。
 たぶん臆病な翔なら十分に気をつけたに違いない。ガスの栓を開けてから、マッチを擦るなどということは決してしないだろう。お風呂のガス釜には実験用のコックもなければガスの調節ネジもない。元栓を開ければそのままガスが放出される。だからガスの点火には十分気をつけろとレクチャーした先輩がいっていたのだ。
 悲劇の主人公となった西田安俊は新潟出身で、公務員の息子だった。身なりはいつも小ぎれいで、育ちのよさが伺えた。いつもレイバンのサングラスを身につけた中流家庭のぼんぼんという感じだった。
 同級生たちはそのちょっとチャラい感じを、
「ええかっこしいやなー」
と金城がいい、
「うん。いっちょすかん」
とおいどんは毛嫌いしていた。
 大切に育てられた西田ぼんぼんは自分で風呂は沸かしたことがなかった。だからガスの元栓を開けるのとマッチを擦る順番はさほど重要なこととは思わなかった。彼の理科の教師もたぶん注意したであろう言葉も忘れ、「動作は素早く」と先輩が心配そうに確認したのに、ぼんぼんは優雅な動作で点火してしまった。しかも近眼だった彼はどこに点火したらいいのかを確かめるように顔を近づけていた。点火する前に西田青年の周辺ではガスが満ち始めていた。
 衣類から出ていた肌がダメージを受けたが1、2度程度の火傷で済んだらしい。火元に近かった顔面がいちばんダメージを受けた。それで包帯のマスクマンになった。
 ちなみにこの寮では体に障碍がある学生もない学生も一緒に生活しており、車いすは常備されている。そのせいもあってか、自然と相手に配慮するライフスタイルがみんな身についていた。障害の有無はコミュニケーションの壁にはならなかった。
 新潟のミイラ男も、多少の不自由さはあったろうがその生活には何の問題もなかった。そして彼はいつ何時自分が障碍を持つかもしれない可能性知った。
 周囲の寮生は彼の受けた損傷やそのいきさつについて同情するより先に冷静に、否むしろ冷淡に受け止めていた。
 ただ西田については「ええかっこしい」でサングラスをつけていたのではなかった。彼の眼は紫外線に弱く直射日光を受けると重大なイメージを受ける。そのためのものだった。
 それからは彼の好感度が急にアップした。ガス爆発の失敗談を少しも隠すこともなく、貴重な経験として周囲の寮生に話し、どんな質問にもあけらかんとして答えていた。何事にもあまりこだわりがなく、素直な男だった。
「やっぱりアホやなあ」
と金城がいい、
「ばってん、よかやつばい」
とおいどんが認めた。
 そんな彼は卒業後、同級生に会いに日本中を巡る旅をした。それから輸入雑貨商を起業し、世界を巡る旅をしているらしい。だが現在、彼の消息を同窓生たちは誰も知らない。


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