小鳥さん 

午前三時  深紅(しんく)

わたしの朝ははやい。仕事のある時は
5時15分に家の鍵を締めて 駅をめざす。
そんなわたしに 午前3時過ぎに目を覚ますと 降りそそぐ贈り物を享受できるよ そう言って 教えてくれたのが 深紅(しんく)だった。
わたしが小鳥の群れの飼い主さんだったころ いちばん長く一緒にいてくれた 小鳥さんだ。

今でも 小鳥たちがいた頃とおなじように 驚かさないよう静かに起きて そっとお湯を沸かし 白湯でからだを整え 願いごとをかぞえる そんな名残が わたしを捕えたまま離さない。

留守がちなわが家なので あたらしい個体をお迎えするつもりはない。さみしさは与えるものじゃないと思う。やむなくそうなって 状況的にそうなってしまって さみしくさせてしまう。
最初からわかっていたら さみしくなんてさせないだろう。

本当に歳を重ねて盆栽でもはじめようかなという気持ちになったら お話相手になってくださる子を お迎えするかも知れない。今のところ考えることはないだろうと思う。
花のことをわたしは聴いてもらおうと一生懸命に語り その子はご機嫌に歌を唄う。男の子だったら 雨に歌えばを教えてみたい。 雨が降っても 一緒に唄えば楽しいに違いない。


1羽の小鳥から始まった 3世代にわたる 彼らが描く立体の絵巻き物に お付き合いをさせていただいた夢かうつつかの時間は 人にすれば13年。
あの子たちは すこしだけ わたしをくちばしの無いマミーに育ててくれました。


どの個体もユニークで 唯一無二のベイビーたちはDNAの不思議と 誕生することの神がかった技をひっさげて ゴングの音とともに リングに舞い降りたのだ。

やー ちがうよ
わが家へ続々とやってきた。

わたしは雛たちを 可愛い手乗りにして大事に育てようと願っていたものの 巣箱に手をのばし そっと巣上げしようとしたそのときに、母鳥の叫びという技をかけられ その力に圧倒されて すごすごとリングをあとにすることとなる。いやはや 参りました。しかし胸の張り裂けるような あんな声出させちゃいけないなと 猛反省。
これが 小さな小鳥に負けたくちばしのないマミーの願いが打ち砕かれたお話だ 笑
あのとき わたしも叫んでおけば良かったとは思えないが 一抹のさみしさが心にあった。
この先 何年も一緒に暮らすのだ。
一羽くらい育てさせてくれてもいいだろーにと 問いかけたが ダメ〜わたしが全部育てるのと言って 彼女はブンブンと首を横に振った。えっ?と思ってよく見ると かわいい顔には大真面目と書いてあった 笑 嘘だと思われるかも知れないが 書いていることはすべて実話だ。

母鳥は賢かったのか きちんと意思を持っていた。あとにも先にも そんな個体は誕生しなかったのだが、意思を感じたから 尊重しようと決めた。
しかし どこかでお会いしたよーな?不思議な小鳥さんだった 笑
その妄想が膨らんで このひとだ という設定が わたしのなかで出来上がったのだが、面白すぎるので 今は伏せることにする。

3世代にわたって お付き合いさせていただくと さすがに年齢的ではないところで老成した。
マミーのマミーのマミーは普通の人で
スーパーマンにはなれなかったので 疲れて 途方に暮れることもあった。
この子たちは どこまで飼い主さんを頑張らせてくれるんだろうと思いながらも 前向きに働いた。
バイトから 夜あけ前に帰り 部屋の
あかりもないままに 雛たちのハウスの横で寝落ちして うっすら目をあけると 月明かりに照らされた 4つのちいさな丸い頭のまわりに 白くて薄い輪っかが見えた。4つの丸い影は 首を伸ばしてこっちを覗きこんでいた。わたしはベイビーたちに観察されていたのだ。

頭の数だけみても 圧倒的に敵わない。 最高に多いときで36 羽だ。  ベイビー達は 形勢を逆転させて 油断と隙だらけの飼い主さんを 観察する立場を勝ちとった。

うっかりおやつなんかを頬張っていた日には大変だった。もぐもぐしていて なんだこの変な空気は?と思ったら ベイビー達に 何してんのよ 笑 と注目されていて 思わず固まってしうこともしばしばだった。だが、それも今となっては楽しかった思い出となっている。彼らは本当に 自分たちとは違う生き物に好奇心を持って楽しく観察していたのだろう。

酸いも甘いも味わうことで 泣いたり笑ったりして かけがえのないものたちと向き合った。

そんな夢の最後のページを パタンと閉じてくれたのが 深紅だった。昨年の秋も深まる頃、わたしが仕事から帰るのを待たずに旅立った。賑やかだった群れも 本当にいなくなってしまった。今でも 部屋のなかであの子たちの声や羽音が 聴こえることがある。夢のまた夢。どこかで会いましょう。また 会えるでしょう。

深紅もほかの生き物とおなじように足から老いたことが現れた。本能的に悟られまいと隠していたのだと思うが
とまり木の上で立ち往生している真紅を見て 移動できなくてもごはんをついばんだり お水が飲めるように工夫したが 見慣れないものはこわいものと感じていたのか 喜んでもらえなかった。小鳥は食べ溜めができないので
ひな鳥の挿し餌の時間とおなじ 3時間を目安にして ごはんをあげることにした。

最後の一羽になった深紅のために
いつもより早起きをした。その時間が午前3時。お湯を沸かして 粟玉をふやかして 冷めるのを待ってから深紅にあげた。家を出る直前に たっぷり挿し餌をして 3時間後にごはんをあげれないけれど 帰ってくるまで待っててねと願うように声をかけて出掛ける日々が始まった。
地球への贈り物を書いたのは そんな日々が始まったころだった。

有給もたくさん残っていたが 人が足りないので 仕事をお休みすることもできず 毎朝後ろ髪をひかれるような思いで わが家をあとにしたが その分 不安とか恐れといった想念をすべて退けた。

わたしもわたしなりに頑張ったが、深紅はそれから2か月も頑張ってくれた。わたしは生きるという物語の小さなバトンを群れのみんなから そして最後に深紅から受け取った。

36様の見えないバトンは どなたかにちゃんと渡してねと わたしの背中を 小さな羽でくすぐるように 押してくれている。



いまは亡き 温かだったマミーの
お誕生日に 捧げます✨✨ ねね







 




















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