流れてゆく日々の心音 3

ひかりが さしてくるほうへ
それは ことばという かたちを
しているかも 知れない
あたたかい ちからをくれる


ほら お花たちも むかってる
そこに なにがあるのかも
知らなくても いい


ゆけば また あたらしい ひかりが
さしてくる


わたしが わたしで
あなたが あなたであるための
ひかりが さすほうへ


いま 想えば 好奇心の塊だった。
幼いころの エネルギーの塊のような わたしは 何だったのだろう。
とらわれたり 制限されるということなど なにも知らずに 目にするもの 輝いているものに 触れて 感じてゆくことで そのさきにあるものへと
つながってゆく エネルギーの塊。



そして それは 今もわたしとともに
ある。
自覚できるときも できないときでも
その塊が わたしが あるための
ひかりのさすほうへ ゆきたいという。

この わたしという ものがたりを
書きはじめたころ 書いておこうと
思った記憶たちは 色鮮やかで鮮明に
あり まだ 息吹を微かにはたもっていた。


誰のことも 貶めずに 最後まで書けたのなら 自分としての合格点としよう そう思っていたけれど
記憶が消されてゆく速度が はやくなり 雨が降り 優しく洗われたあとの夏草のような 土と緑の混ざり合う 懐かしい香りに包まれて わたしはいま 何ごともなかったかのように 
ただ あるということを 楽しんでいる。


柔らかく よりしなやかでいて
より強靱なものとなりうることも
できるのだろう。

わたしが かつて 存在が揺らいだとき その かなり前から 幼いころから はじまっていた ぶつかりあいは
奇妙な生き物へと わたしをいざなった。


ようこそ と手招きされて
やさしくあるようで 味気ない。
家は 好きではない場所になった。


だから 外へと
わたしでいられる場所へ ひとへと
向かっていったのだが
おいたがすぎて うちには要らないと
言わせてしまった 笑


存在理由がないのであれば
消えてゆけば みんなしあわせに
なれるのかと 思ったりもしたが
必要でないひとなど いない と
ことばで 未来を託してくれたひとが
わたしを この世界にとどまらせて
くださった。


わたしは 要らないという 果てに
落ちたところで もう それ以上
落ちるところがない 底という場所で 
その ことばのひかりだけを 
宝物のように たいせつに わたしという塊で 抱きしめていた。

みんな必要だということを 知っている そのひとのことばに 偽りがないのだということを
その ひかりが 妄言などではないの
だということを わたしが証明してゆきたいのだと 塊が言っていた。

そのひとは きみの根になろうと
言ってくださった。
根は見えない 見えなくていいのだと
なんて 温かいことばだろう。
きみたちが 咲くための根に
ひかりは きみたちが浴びるのだと。
その未来に想いをはせるとき
楽しみでならないと。



見わたせば おなじことばを
受け取っているはずの ひとたちが
いともたやすく そのことばを曲げて
軽く扱い 偽りであるかのように
生きていた。


いまなら わかる
みんな 苦しんでいたのだと。

ひとはひとだ。
わたしには ひかりだ。
あとは 落ちるところがない この場所から 爪を立てたり 爪を剥がしたりしながら 這いあがってゆくだけだった。

本当に ふさぎぎこんでいた。
そのころだったと思う。
ことばは読めても 意味がまったく
わからなくなった時期があった。
なにか こわいことが起きている
その こわいことと向き合うために
ことばの意味を もういちど定着させるために 文字を書きはじめた。

いま思えば 贈り物だったとさえ
思える その時期は 現実でなぜ と思ったことに 夢のなかで答えをみせてもらったりもした。
謎ときのような その世界を文字で
なぞるように 書いてみたけれど
机上の空論は どこまでいっても
机上の空論でしかなく 生きていないことばは わたしには 意味がないことのように感じて 書くことを 捨てることを 潔しとさせてくれた。


あたまも こころも からだも 
所作も ひとつになりたがっていた。
捨てる理由として わたしにとっては
充分だった。

最後にみた 謎ときの夢が 背中を
押すように ひかりをつれてきた。

樹海だと思った。 樹がすべて ひかりの虹でできていた。 そこには いろんなひと 生きものの 想念が しゃぼん玉の表面のように 虹色にうごめいていた。わたしは どうすれば開放できるのだろうかと 考えていた。
いろんな想念が 流れ込んできて
つらくなった。


意味がわからなくて 眺めていると
触れてみなさい そう言われて
手をのばして 樹にふれると ぱちんという音もなく 樹海は消えて 囚われたかのように うごめいていた想念たちは 樹海の消失とともに 一瞬で開放され 消えさった。
まっ白な 空間になった その場所は
なにも考えず なにも意識しなくていい場所だった。


そのときに
わたしの塊で 触れてゆくだけでいいのだということを 教えてもらった。
そこが こたえなのだと わたしは 受けとめた。

ひとの流れのなかへ 身を置くのだ。
そこに意味がある。決して 評論家などにならず 身を置いたところで
触れてゆけるかぎりのものへ 手を
のばして 触れて 感じてゆくことで
できることをやっていく。

そこで 生きた ものがたりを
紡いでゆくのだと想った。
ことばを超えた ものがたり
わたしの ひかりの ものがたりを。

いつか わたしという塊が 赤裸々であっても 矛盾することなく一致して
ひとつになっていると 感じられる
ところへ辿りつくまで 書くことはしないと 思っていたにもかかわらず 
地球のお手伝いができたらいいなぁと
いう 笑えるようなきっかけで なぜたか わからないうちに 書きはじめていたのは ことばが好きで たまらないんだろうと思う。伝わる つたわらない という
制限のある その世界のなかで 
ぃま わたしがいる場所では 触れられない
どこかにいる 誰かに 伝わるかもしれないという想いが
ことばへの愛しさを 深めていってくれる。

そして こころの想いを ことばや行動に乗せて ひかりへと むかっている わたしにとっての職場や
ひととのふれあいの場所は まるで実験室にいるようで
日々 贈り物で満たされている。
本当に感謝しています。
わたしのことばには ほぼ原寸サイズの わたしが
乗っかっている。ぱぉ〜んと言えば それは紛れもなく
ぱぉ〜ん なのだ。


ころもがえ してみたんだよ〜
えっ? あら わたしまで 笑
不思議ね〜 変わっちゃったわ
そんな感じで いいのだと本気で思う。

ことばというものは 見えるものだけではなく 見えない領域のことも
可視化して 伝えようとさせてくれる生き物のようでもあり かたちがあるようでいて かたちのないもののようでもある。


わたしが 想えない想いを ことばで
誰かが 生み出して ぶつかりあう そのことで 混ざりあって 織りなしてゆく わたしのフィールドに 
揺れる波のような さざめきがおこり 紋章が一瞬だけ 変化して
かたちを変える。
そして また わたしへともどってゆく。静かに そして それが当たり前であるように。


ぶつかる前 ぶつかったあとでは
紋章は おなじようでいて 確実に
書き換えられているはずだと思う。
からだのなかを流れる 水の記憶や
音とひかりの記憶が わたしという個体に委ねられた エネルギーの塊の紋章に あたらしいなにかを織りなしてゆく それが 繋がることだと感じている。


いまのわたしなら こう言うだろう。
あなたの色を 意図してつけようと
しないでくださいと。 
そして なにも貼らずに そっと
送りだしてくださいと。


どこにいても わかるように
しるしを のこしておきますからと。
たとえ 遠くへだたれたとしても
愛しています。
しかも パーフェクトに🍀
だから 笑っていてくださいと。












 

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