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2年目の正直

今年もドゥマに行く。悩みに悩んだ決断で、
この時はまだ就職先も決まっていなかったので尚更。
免許もまだ、持っていないし。という現実とのギャップも。

悩み抜いて、それでも行きたくて、
お金は勿論、自分で出すけれど、
ワカナじゃなくてもいいやろ、本当に学生が必要なん?
分かってほしくて、両親にプレゼンまで準備した

この時、最後の意思決定の最も大きな理由は
『もう一度、会いたい』から。
去年お家を建てた家族に。そして、聞きたい今の生活はどう?と。
自分の目で見たい。本当に私たちの建てたお家で不自由なく、暮らせているのか。その答えがどんなものであっても、知りたい。と思う。

この春、フラッと大学に行って、頼まれてもいないのに、新歓ブースを覗きに行った。有難いことに大盛況なブース。見てるだけのつもりだったけど、
うずうずしちゃって、気づけば1年生を捕まえて語っていた。

1回生の頃の私は、キラキラ大学生(友達とカフェや海外旅行いきまくるような生活)に憧れていたけれど、
まさか誰かのお家を建てるとは、全く予想だにしていなかったこと。
ただこの活動も、それまでの活動も振り返ると、私が期待していた何十倍もキラキラした日々だった。

想像するけれど、みんなほど上手く意義を考えても飲み込めなくて。
楽観的というよりも見出せないでいることが『悪し』のような感覚を肌に感じた。クリティカルに思考して、足りないものを感じ取って補う。ことが当たり前、みたいな。
周囲の同期やメンバーと何もできていないジブンと比べて、どんどん苦しくなっていた。し、こんなことが悩みだなんて、本当に忙しくしている人に申し訳なくて誰にも何も言わなかった。役割上、どんなときも明るくいないと、役割を果たさないと。みたいな固定観念と焦り。気持ちは全く逆ベクトルなのに。悪循環は悪循環を呼ぶもので、どんどん人目を気にしては自信がなくなって。仮にも、上回。自分で自分の機嫌や、モチベなんかコントロールしなきゃと思っても、身動きがとれなくなっていた。

自分自身が、無意識に分厚い心の壁を作っていた気がする。

鮮やかな現地
そんなこんなで、警戒心Maxで渡航の日を迎えてしまった、私。
現地の鮮やかさにびっくりした。貝殻で作った首飾り。現地の乗り物、特に2週間ずっと一緒だった、ジプ二ーのオレンジ色。空の青さ、ホテルと朝の鮮やかな緑。地面は大体、コンクリじゃなくて砂の地面。飛び込んできた鮮やかな世界と初日に見たマニラの全てがでっかい大都会との格差にカルチャーショック。

サイトにはじめてきたときに、青い表札に見慣れた文字を見て一気に鼓動が早くなって興奮を覚えたことを忘れない。
エコハビの先輩たちのチームの名前が刻まれた表札。
何日もかけて何件も何件も、お家とそこで暮らす人々を見て胸が熱くなった。お家を建てるということがどういうことなのか、肌で感じるものがあった。

家を建てること
まずは一緒にお家を建てる人との信頼関係を築くこと。
もう一つのチームは最初から様々な作業を任せてもらえていたみたいだけれど、こっちはそうではなかった。
『何も任せてもらえない』を乗り越えること。挨拶、目を見て話すこと、
知らない土地から来た、言葉も通じない人間をそうやすやす信頼してくれるはずがない。業に入れば、業に従う。その上で気持ちを伝えること。
これはメンバーが頑張ってくれていたのを見て気づいたこと。私は何も動けなかったな、。
炎天下の中でのワーク。ちゃんと休憩すること。塩分チャージも忘れずに。音楽は作業の轟音で何も聞こえない場所があったり。
現地の人のドラム缶みたいな、スピーカー凄かったな。
ショベルカーなんかなくて、ほとんどが人力の作業。接着のマサ。ブロックを運ぶこと、積み上げ、壁を塗ること。
中から外に手を伸ばす外壁を綺麗に仕上げるコツが最後まで掴めなかったから、今年こそ。
スナックの時間に休憩していたお家の壁を見て、その均等さと綺麗さと自分たちの作っている場所を思い浮かべながら睨めっこしてた。
何者なん、ワタシ。全然アマチュアだけど、気持ちは完全に家を建てる人。

人のあたたかさ
あのポジティブな感じ、スコールが降ったときにいつも人数分の椅子を用意して休憩させてくれていたお店の人。
陽気なお母さんと、ハンサム堅物そうだけど冗談で笑わせてくれるパパさん、シャイだけど徐々に心を開いてくれた娘ちゃん兄二人のHPさん。
熱くて疲れたときに、いつも私たちに力をくれた近所の子供たち。
謎に最後に、私の顔みて〇〇すきなんやろー(大工の一人)って一生からかってきていた同年代くらいの大工さん
招かれた邸宅で働いている女の子
奨学金を受け取っている子どもたち、過去のHPさんたち
最初から気を許している訳ではないけれど、本当に本当に全ての人達があったかかったの
伝わらないとおもうからみんなをドゥマに連れていきたいわ

バイクに人乗る部分かぶせたみたいな人力タクシー(トライシクル)
があって、その中部分ではなくて、外の座れるところに座ってみてほしい
ドゥマの海風に当たりながら、ゆっくり夜の街をみる時間が大好きだったな

色んなサイトの住人の人たちにインタビューをして、
コミュニティの違いや特徴を知ること。たくさんの異なる「当たり前」を目にした、感じた。

多くのお金がなくても、人ってこんなに笑えるんだ。モノで溢れた暮らしをしてる癖に、私は心が乏しい、と思った瞬間。

ワーク日を重ねる度に、この人達の為に頑張りたい。そう思えた。

最期なんとかお家が完成して、
完成したお家にメンバーみんなが壁に手を重ねて祈るとき、
家族の想いを知っているからこそ、
一緒にお家を建てた時間があるからこそ
涙が止まらなかったな。
必死に家族のしあわせを一心にお祈りした記憶。

朧げだけど、はっきりしている記憶。
今、もう時は進んでいる。
もう一度ドゥマに、そのチャンスが私にはある。

際が切られた今、「ただ会いたい」だけではない
想いがどんどん増えている。


+αは求めるのではなく、引き出すこと。
自慢の同期みんなを先輩面だけさせるのではなく、本気のワクワク楽しさ引き出す?てか一緒に。(回生軸は『灯台』みたいな存在で、本気で怒られちゃいそうだから私のナイショプロジェクト。)
考えた考えた考えた、その先の閃きなら、
突拍子なくても気にするな。
足りないモノを考える思考だけ、ではなく充足思考を併せ持つこと。
自分は何が嬉しいと思った?これまでに何がキーポイントだった?
どんな背中を見た?初心を忘れないこと
知的好奇心も抱いて。
『みんな』を思いやること。
想いを持って行って、
持って帰ってくること、伝えること

どうせ不器用だ。
猪突猛進に、今を全力で、

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