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 願い -desire- 前編


  プレイア 祈る者編

 大なり小なり、人にはそれぞれ叶えたい願いがある。自力かどうかは別として、結果的に目的が達成されれば人は満たされるものだ。
 逆に叶わなければ、満たされることはなくやるせないモヤモヤした気持ちが心を支配する。表面に出すか引きずるかは個人差があるものの、人の脳は記憶として残すのだから面倒だ。
「あぁ、わしはもう駄目だ。せめて、せめてこれだけは完成させておかなければ元も子もない。グゥ、保つんだ、保ってくれ……くそぉ……」
 また一つ叶わぬ願いを抱いた老人がいた。そんな彼を無機質な眼差しが見つめ続ける。程なくしてこと切れた老人の体は、床に寂しく転がった。
 無機質な眼差しの正体が老人の最期を見届ける。音を聞き付けた第三者の悲鳴と嘆きが部屋全体に響いた。

 公園で砂遊びをする子どもが二人、その内の一人が顔を上げて目の前にいる女の子に口を開く。
「おれさ、おっきくなったらうたのおにいさんになるんだ」
「そっか。りゅうじくんおうたじょうずだもんね」
 微笑ましいことに将来の夢について語っている。
 りゅうじくんと呼ばれた男の子は照れ臭そうに笑いながら、女の子へ話を振る。
「ゆうちゃんはなりたいものなに?」
「わたしは、……りゅうじくんをおうえんするね」
「それっておれのふぁん、ってことか。ありがとう! やくそくだから」
 嬉々としてゆびきりをする二人の子どもを周りの大人たちは微笑ましく見守っていた。
 別にもう一つ、無機質な眼差しが二人を眺めていたがすぐに離れた。

幼い頃からの夢を叶えた俺は相方と共にこの輝かしいステージに立てている。
 歌って踊れるミュージシャンを目指した俺は、昔住んでいた町を去り、オーディションを受けた。
 結果は奇跡的に一発合格。翌日から早速今の相方と一緒に活動を開始した。
 本編が終わり、アンコール待ちとなった。
「準備はできているから、水分補給と着替えを済ませたらすぐにステージへ」
「そう急かさないでくれないか。ファンにも喉を潤す時間は必要だろ」
「ファンを言い訳にしないでって、いつも言ってるでしょう」
 こうして俺たちのような新人でも順調に成長できているのは、単にこの敏腕プロデューサーのお陰なのだろう。
 プロデューサーと俺の相方は昔馴染みらしくてよく打ち合わせをしている時にも口論になって、その度に俺はヒヤヒヤさせられている。でも時間が経てばまた普段通りに話もするし、二人とも時と場所は弁えているのだから大人だよな。
 実際、相方は俺より年上で、ミュージシャンを目指したのも社会人になった後らしい。
「言い訳じゃないさ。本当に僕はファンを心から大切にしているよ」
「はいはい。じゃあそのファンを待たせているから二人とも、アンコールいってらっしゃい」
 持っていたペットボトルの替わりに着替えを渡されてグイグイステージへ追いやられる。
「ちょ、待ちなさい! 半裸でステージに立たせる気かい!」
「それが嫌ならとっとと着る! 貴方もね!」
「は、はいぃ!」
 後からついて行きながら急いで持たされた着替えを済ませてステージ上へ戻る。
 不満顔をしていた相方だが、ステージ上でその表情は満面の笑みへと変わり大きく手を振ってファンの声援に応える。
「皆さん、アンコールどうもありがとうございます。ここからは時間の許す限り楽しむと致しましょう」
 いつもながらこの切り替えの速さは尊敬する。
 俺もおいていかれないように前へ進み出た。
「まずはこの曲、俺たちが結成して初めて歌った思い出の一曲です」
 軽快なリズムから入るこの曲は、ファンからもカラオケで歌いやすいと好評をもらったこともある。
 今では他の曲に埋もれてしまい霞んでしまったが、それでもこうしてコンサートで歌えばファンに喜んでもらえた。
 楽しい時間はあっという間で、ステージ袖から見ていたプロデューサーが合図を送った。
「では次で最後になります。お聴きください」
 相方が言い終わると同時に流れる落ち着いた曲調は、いつもコンサートの最後を飾るバラードだ。
 これは恥ずかしながら俺が考えた曲だ。正確にはプロデューサーに作曲家を紹介してもらって構想や曲の雰囲気を伝えて完成したものだ。作詞は相方が書いてくれた。本当に多彩な人だ。
「――いつか辿り着く 理想郷へ 共に」
 歌い終わる際の相方は目を閉じて右掌を胸へ当てて数秒黙る。
 同じく客席も静まり返り、シィンとした会場に目を開けた相方が客席全体を見回して胸に当てていた手を天へ縋るように掲げた。
「今宵の会場も素晴らしかった。またいつか再会しよう」
 相方の言葉が会場内に響き渡った瞬間、今まで黙って見守っていたファンが一斉に歓声を上げた。
 俺たちは歓声の中、ステージ袖に消える。そこには、既に腕を組んで待機していたプロデューサーがいた。
 相方がすれ違いざまに彼女へ小声で今回の報告をした。
「予想通り。今回の客席側からは強いグリードルの反応があった。認めるのは癪だが」
「一言多いのよ。でも、これで的は絞れたわ。これからすぐに新曲とリリースイベントのスケジュールを調整するから少し時間を頂戴」
 コンサートが終わった後だというのに溌溂とした彼女の口調は、今の俺たちにとって寝耳に水というやつだ。
 相方なんて先程までの神妙な顔はどこへいったのか、渋い顔を浮かべて不機嫌なのを隠しもしていない。本当にステージ上とは別人のような変貌ぶりだ。
「神城(かみしろ)くん、少しは僕たちの身体を労わってもらえないだろうか!」
「あら、僕はファンを心から大切にしている、なんて言っておいてそれはおかしくない、絃謙佑(いとけんすけ)殿」
 相方がプロデューサーの名字を呼ぶと、ピクリと眉を動かした後にプロデューサーも相方の本名を口にした。
 これは、また口論が始まてしまったようだが、気付くのが遅れた俺は逃げ遅れてその場に取り残されてしまった。
(くそぉ、他のスタッフは作業しながらささっと逃げたな。俺も連れて行ってよ~)
 この二人の口論は何かと有名で、コンサート中はすぐに切り上げるけどこうして今終わった時とか打ち合わせの時になれば、全然終わらない。
「まだ会場を出ていないというのに本名で呼ぶなんてプライバシーはないのかな」
「先に呼んできたのはそちらです。それに標的が居るなら即行動が我々の信条でしょう」
「僕もそれは理解している。しかしすぐにまた次の予定を組んでもファンたちの財布が」
「貴方が休みたいだけでしょう!」
 鋭い指摘を受けた相方、絃さんはぐぅの音も出なくなった。
どうやら今回の軍配は神城プロデューサーに上がったようだ。同時に俺たちの休みは消えた。

 帰り際、絃さんは次の新曲に向けてのアイデアを考える為に頭を抱えていた。俺ができる事はこの時点ではあまりないだろうけど、今までの付き合いから絃さんは一度煮詰まるとそこからなかなか復活できない為、ある程度のところで気分転換をさせる必要がある。
「絃さん、俺にできることありますか。スイーツとか買って来ますよ」
「樋芽、気持ちは嬉しいが、今の段階は君のすることがないと知っている筈だ。ここは大人しく帰ることを推奨する。心配しなくても新曲は必ず期日通りに仕上げるさ」
 きっぱりと断られてはあまり食い下がるのも機嫌を損ねかねないことを知ってる俺は、渋々ではあるものの帰ることにした。
「それじゃ、お疲れ様です」
「ああ。お疲れ。ゆっくり休むように」
 まだ返答をしてくれるだけ余裕があるのだろう。でも、明日もう一度連絡しよう。
 いつだったか、そのままにして後で煮詰まった挙句、復活するまで時間がかかった事がある。その時は仕方なく新曲のリリース日を延ばして、神城さんが静かに怒っていた。勿論その後に二人して説教をくらった。あれは正座していたこともあり、辛かった。
 腕時計で時間を確認した俺は、帰路を急いだ。
 今日は、まだブログを投稿していない。できるだけ忙しい中でもブログは書くようにしている。これは俺ができる精一杯のファンサービスだ。
 今日の会場からアパートまではそれほど遠くはないから、運が良かった。
 帰宅して早々にカバンを置いて、着替えもせず机のパソコンの電源を入れた。
「よしよし、今日も何とか間に合いそうだ。えーと、まずはファンの皆にお礼と、見に来てくれた人たちにお疲れ様と、気を付けて帰ってね、と。後は、新曲の……これは後日で」
 一人暮らしだと独り言が多くなるって本当だな。
 キーボードを打ちながら、俺は何となくいつもしていることなのに笑えてきてしまった。
 帰宅した瞬間は平気だったけど、やっぱりコンサートの疲れが出たのか、キーボードを打つ手がおぼつかなくなった。
「あぁ、やぱい。変なこと書く前に今日はここまでにしておくか。皆ごめんよ」
いつもに比べると短い文章に申し訳なくなって謝るも、睡魔はすぐそこまで来ている。
神城さんからは音楽活動は体力勝負だから三食きちんと摂るように言われていたけど、今日はさすがに何かを口にする元気はない。
「ん~、おやすみなさい」
 俺はそのまま布団にも入らずにごろ寝しようとして、止められた。
 買い物袋が床に置かれた音に驚いたからだ。俺以外の住人はこの部屋に居ない筈だ。
「君は他人の心配の前に、自身の心配を優先するよう努めてくれ」
「あれ、絃さん。これって夢?」
 寝転がって数秒しか経っていないように思う。
 俺の目が覚めていないと知り、絃さんは分かり易くため息を吐くと、床に置いた買い物袋を指差して言い捨てる。
「失礼なことを言っている暇があるなら、その中にある物をさっさと食して寝た方がいいな。文句はまた後日聞いてもらうからそのつもりで。ではお休み」
 用は済んだとばかりにすぐ帰ってしまった絃さん。どうやら彼なりに相方の俺を心配してくれたみたいだ。
 確かに彼の言うように、俺が先に心配しておいて結局相手に世話を焼かせていては格好がつかないよな。
 気恥ずかしさを感じつつ、持ってきてくれた中身を見ると、果物の詰め合わせとサラダとペットボトルのお茶が入っていた。
「これは、完全に絃さんチョイスの品物だな。俺、まだ育ち盛りだと思うんだけど」
 口に入れてすぐ寝るには丁度いいかもしれないけど、逆に中途半端に空いて眠れない可能性もありそうだ。
「いやいや、人様の行為を受け取らないなんて失礼だろ、俺。……これ食ったら何か作るか」
 不器用ながらも見せた相方の優しさに涙を流しながら、俺は一人果物を頬張った。

 翌日、事務所へ足を運んで見たが、予想に反して絃さんの姿はなかった。
 てっきり事務所の一室を借りているものとばかり思っていた。
「あぁ、彼なら今頃資料室で頭を抱えている頃ね」
 神城さんに所在を尋ねれば、穏やかではない答えが返ってきた。
「えーと、俺も何か手伝って来ましょうか」
「今が丁度ピークでしょうから、昼過ぎに行くべきね。それより、貴方に確認したい事があるの」
 言いながら机の上にある何枚かの書類を手にして立ち上がる神城さんは、本当に忙しそうだ。
「はい。俺で良ければお手伝いしますよ」
「助かるわ! ホント、素直な良い子があいつの相方になってくれて良かった」
「あ、ははは、それはちょっと大袈裟じゃ」
 この様子だと、俺が来る前にまた二人で何か口論になったのかもしれない。
 神城さんについて行った先は、使われていない応接室だった。
「適当に座って」
「あ、俺飲み物買って来ましょうか?」
 ここに来る途中、自販機はなかったけどもしも話が込み入った内容なら、あった方がいいだろう。
「いいの。すぐに済むから。それにこの話をして何か口に入るとも思えないし」
「えっ……」
 不穏な発言を耳にした俺は、少しこれからする話が怖くなった。
 神城さんはそんな俺の反応に気付いて、すぐさま訂正を加える。
「グロテスクな話ではないから、そう身構えなくて大丈夫よ」
「えーと、じゃあいったい何の……」
「その前に座りなさい。落ち着かないでしょ」
 指摘されてようやく気付いたが、俺はソファの前で立ったままだ。
 慌てて神城さんの向かいのソファに座ると、目の前にあるガラステーブルに持ってきた書類を広げて俺に見せる。
「樋芽くん、貴方以前に自分は【クリア】つまり無欲な者だって相方の彼に話したのよね」
「え、はい。絃さんには違うと言われてしまって」
 この話をしたのは、確か絃さんと相方になることが決まって少し経った頃だ。その日は久しぶりに会った幼馴染みの女の子がリリースイベントに来てくれていたから、懐かしくなって話題に出したと思う。でも、なんで今ここでその話になるのか不思議だった。
「おそらく彼は、貴方に【プレイア】これは祈る者という意味ね。そう言ったのよね」
「は、はぃ。俺、その区別は未だに付かないですけど」
「それについてはまた後で説明するとして、問題は誰が貴方に、【クリア】と教えたのかってこと」
 神妙な表情で聞いてきた神城さんに、俺はドキッと心臓が跳ねたのを感じた。
 勿論覚えている。俺にそれを言ってきたのは、幼馴染みの女の子、噤 夕刺(つぐみ ゆうし)こと、ゆうちゃんだ。
「そ、その、それは教えちゃダメな事ですか?」
 膝の上で握った拳が小刻みに震え出す。
 疑われている。ゆうちゃんが、神城さん達が追う黒幕ではないかと。何とか説得しないと、ゆうちゃんを巻き込んでしまうと確信した。
「ダメという事でもないわ。だけど一般に公表してる情報ではないから、知ってる人は限られるの」
「少なくとも、俺に教えてきたのは同い年、くらいの女の子で。以前住んでいた町で小さい頃よく遊んでいて」
 しどろもどろになりながらも、必死でゆうちゃんの無実を証明しようとする俺の意思は伝わったみたいで、神城さんは腕を組んで考え始めた。
「そう。念の為、その子の名前を教えてもらえる」
「え、名前、ですか。えーと、噤、夕刺です。ゆうちゃんって呼んでて」
「噤……! そう、分かった。ありがとう」
 名前を聞いて、一瞬酷く驚いていたが、そのあとはいつも通り、冷静になった神城さんは広げていた書類の中から一枚を指差して俺に確認を取る。
「その幼馴染みって、この子で間違いないわね」
 それはよく見たら俺たちのファンの子の個人情報が載っている書類で、心底焦った。
「ちょ、合ってますけど。これ個人情報でしょ!」
「あら、そうだったわね。まあ貴方は悪用しないからギリギリいけるでしょ」
 こういうところだ。言ったらどんな目に合うか分からないから口にしないけど、この自身の仕事の為なら手段を選ばない辺りが、絃さんとよく似ている。
「命が惜しいから絶対に言わない」
「何か言った?」
 無意識のうちに口から出た本音を、地獄耳の神城さんに聞かれてしまった。
「な、なんでもありません」
「……そう。話はそれだけだから、ご協力感謝するわ」
 聞かなかったことにしてくれたみたいだ。絃さんだったら、絶対に口論になってた。
 手際良く書類を纏めて、神城さんは早々に立ち上がった。
「じゃあ私はこれからやる事があるから。貴方は彼のところへ」
「はい。様子だけでも見て帰ります」
 神城さんが言い終わる前に遮って、俺も慌ててソファから立ち上がり、応接室から一緒に出る。
「樋芽くん、あの時にも話したけど、グリードルのことは私と彼に任せること。突発的な正義なんて迷惑でしかないのだから」
「ゔっ……はい。勿論、分かっています」
 絃さん以外にも容赦がない口調だけど、これが彼女なりの親切心からきているとさすがに理解できない程、俺も幼くはない。
「分かっているならいいの。厳しいこと言ったわね。でも、貴方は貴重な【プレイア】できることなら私も彼も失いたくはない」
「はい、それも分かります」
「そう。じゃあ引き止めてごめんなさい。またね」
「は、はい。お疲れ様です」
 颯爽と立ち去って行く神城さんを見送った後、俺も資料室にいる絃さんの様子を見に行く。
 俺の性質であるプレイアが貴重なのは、グリードルという化け物になる可能性が低いからみたいだ。
 グリードルは、人が欲望に支配され異形な姿と化した時に呼ばれる名で、治す方法もあるらしいが、その方法も謎に包まれている。
 だから一度グリードル化した人は、仮死状態にして治療法が見つかるまで保管される。
「でもその大本がゆうちゃんなわけない。きっと無関係のはずなんだ」
 俺はただの幼馴染みで、しばらく会っていなかったけど、以前再会した時のゆうちゃんは何一つ変わった様子はなかった。だから絶対に無実なんだ。
「神城さんが調べればすぐにでも人違いだって分かるさ!」
「廊下で騒ぐのはどうなのかな、樋芽」
「うわぁっ、い、絃さ、ん?」
 いきなり目の前に絃さんが現れて、危うくぶつかりかけた俺は後ろに仰け反った。
「気分転換に外へ出てみたけれど、やはり資料室に籠るべきか」
 くるりと踵を返して行ってしまいそうになった絃さんの服を思わず掴んで引き留める。
「ま、待ってくださいよ。俺、絃さんの様子を見に」
「あのプロデューサーめ、すぐに新曲など思い付く筈がないだろうに。やはり一言文句を」
「わぁああぁ! ストップストォーップ!」
 再び方向転換をして神城さんに抗議をしに行こうとしてるから、慌てて今度は腰に抱きついて何とか留めた。

 絃さんを資料室まで何とか連れ戻した俺は、今度は絃さんと向かい合ってパイプ椅子に座る羽目になっていた。
「ふむ。つまり今、君の幼馴染みであり、僕たちのファンでもあるその子に有らぬ疑いがかけられていると」
「はぃ、そうです」
 無意識に縮こまってしまった俺は、絃さんなら神城さんを説得できると考えてここへ来たわけだが、当の本人は顎に手を添えたまま唸るだけだ。
「え、まさか絃さんまで疑っているとか」
「疑ってはいないさ」
「な、なんだぁ〜、驚かさないで」
「確信しているからね」
「もっと悪い!」
 あっさりと疑っていないと言い切るものだから俺はてっきり無実を信じてくれているのかと、ぬか喜びしてしまった。
「むしろ僕はある策を思い付いたよ。これで新曲を急いで作る必要がなくなるだろう」
 愉悦感に浸っている絃さんは肩を震わせて腕を組み踏ん反りかえった。
「樋芽、今すぐあのダイヤよりも堅物なプロデューサーの所へ向かおう。善は急げだ!」
 スキップでもしそうな勢いで立ち上がり、資料室の出入り口へ向かう絃さんを俺は留められなかった。
「ふ、二人揃って俺の幼馴染みを何だと思ってんですかぁ!」
 ようやく我に返った俺が言えたのは、そんなありきたりなツッコミだった。

 絃さんが提案した内容は、実にシンプルなものだった。
 どこかの食事処を貸し切って、抽選で選抜した(という事にして)何名かのファンを集めてちょっとしたファンサービスをする、という企てだった。
「待ってください。それではファンを騙すことに」
「言い方に棘があるね。当然無関係なファンを巻き込む以上、しっかりファンサービスはするよ。その方が楽だから」
 この人も結局は自分の仕事優先か。
 こっちは憤りや呆れ、焦りの感情が混じり合って思考がぐるぐると纏まらないというのに。
「さて、どうする? 現段階では、これが最もシンプルな作戦だと思うが」
 わざとらしく神城さんに確認を取る絃さんを一瞥した後、重々しくため息を吐いた。
「はぁ……、もう上に許可は取ったのでしょう。私が止めたって仕方ないじゃない」
「ふむ、さすが鋭い。では当日の詳細もこのまま進めるとしようか」
 意気揚々と話を進め始めた絃さんを、神城さんが手で制した。そして、何故か俺の方を一度見た後に進言する。
「それは会場側と貴方でお願いするわ。私は樋芽くんに確認して貰うことがまだあるの」
「そうかい。では、決まり次第また連絡する」
 背を向けてポケットからスマホを取り出した絃さんは会場へ電話をかけた。
 神城さんはといえば、俺を連れて事務所の出入り口まで来た。
「まったく、あの人は強引で困る。それよりも樋芽くん、私達のやり方に不満があるみたいだけど当日はどうする? 何ならオフにしても構わないわ」
「あ、えっと、それはさすがに俺の中で選択肢になくて……きっと俺が参加しないと、彼女も来ないと思いますし」
 神城さんは、なんだかんだで俺の心情を察してくれていた。
 でも、本人だって分かってる筈なんだ。俺が参加しなかった場合、それを仮に伏せていたとしても彼女は何かしらに気付いて逃走するか、周りを巻き込むくらいはする可能性があるって。
「俺は、まだゆうちゃんが関わってるなんて信じられませんけど、俺がいる事で少しでも他のファン達が安全になるなら、喜んで参加します」
「……そうね。プレイアって、そういう性質よね」
「神城さん?」
 諦めたような声色の中に、微かな落胆の雰囲気があったように思う。
 怪訝な表情で神城さんを見ていれば、彼女は首を左右に振ってから俺の肩を掴む。
「安心して。私たちが貴方もファンも皆護り切ってみせるから。貴方はその幼馴染みに集中しなさい」
「は、はい!」
 返事を聞いた神城さんは僅かに微笑んで、俺を見つめた。
 それはもう、眩しいものを見るような表情で、俺はしばらく目を離せなくなった。

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