朝日こうとく
エッセイではなくメモ
日々の生活の中で、感じること、考えることを記事にしていきます。
アトピーと私。心のあり方、行動、出来事など。
母ががんになりました。 感じたこと、考えたことを記事にしたいと思います。
2023年10月17日、火曜日 私の母が、がんステージ4を告知された。 それが、文章を書こうと決めた、最終的な後押しになった。 理由はわからない。 単なる衝動なのかもしれないし、積年の願いだったのかもしれないし、自己防衛なのかもしれない。 それでも寝付けない深夜に、「書こう」と思い立って、机に向かい始めた。衝動説優位? noteに登録したきっかけは、大好きな方のエッセイを定期購読したい、そのためだった。 私は会社員として働きながら13年が経過した昨年、7月からの約4ヶ月
悪霊の反射、金の清算、運の貯め方、輝くということ、部屋の引越、玄関、薬の恐怖、いらん服と邪気、胃腸は元気だそうです、積み重ね
月に2度通っている東洋医学の治療院(未だに呼び名が定まらない)は、自宅から自転車で45分のところにある。 ラジオを聴きながらこの2週間を振り返り、日の光を浴びながらなるべくのんびりと、両の足を交互に動かし続けて向かう。 その日は雨が降っていたので、いつものラジオを流しながらバスで向かった。外を眺めたり、うとうとしてみたり。 つまり、天候に関わらず、この向かう道中そのものが心地良かったりする。 帰りのバスは6分遅れでバス停に現れた。 雨の影響もあり、バスは超満員。座れた
居直りではなく開き直り、開いて、直る 水回りの話 悪霊、鏡、塩、美しく
「死」というものに対して、恐怖を憶え、そのあまりの理不尽に納得がいかず、泣き叫んでいたことを記憶している。 母、祖母と上の妹とで、夜の食卓を囲んでいた。下の妹が生まれる前か後か、前のような気がする。そうなると、5歳前後という計算になるのか。 記憶の残り方が少し不思議で、自分の両目を通して映し出される光景ではなく、ビデオカメラによって撮影されたような、自分を画角の中心に据え置いた映像が思い起こされる。 どうしてひとは死んでしまうの? なぜ、ずっと生きていられないの? そ
上下もあれば上がり続けることもできる 火と煙 87万円
会社の近くの銭湯に寄った。 券売機で新札が使えた。 いつもより気持ちよかった気がした。 でも帰り際にふと気付いたが、キャッシュレス対応にしたらもっと気持ちよくなったんじゃなかろうか。。 とはいえ、また行こうと思う。
無形商材(人材系)を取り扱うBtoB企業の会社員である私にとって、仕事の大半は「ヒトと関わる」こと。 クライアント、エンドユーザー、チームメンバー、上司、、、関わるヒトの数だけの想いや仕草に触れて、自分の視点を四足算式で織り込み、サービスを産み出す。 有形商材業界はわかりやすいと思う。 プロダクトに至る過程で、脱酸素など様々な定量指標をクリアしていく。それが企業の使命となり、未来への貢献度や企業価値の向上を示すことができる。 対して、無形商材業界が未来に向けるまなざしは
治ったり悪化したりを繰り返すのはレアケースなんだそうだ。アクセルとブレーキの同時踏み。痛い目を見ないとわからない人生。それはなぜ? 金の回りと優先順位の話。
自身の売値について、定めた金額を下回る仕事は、邪気をはらむ。3,000円で売るなら5,000円の価値提供を目指して取り組むこと。 タバコの制限、「オードリーの6本」は、日別で収支計算をしよう。 いい本は、読むたびにメッセージが変わる。また読み返そう。 息子が少しずつ行動するようになっている。この変化はしるし。 上司が異動しないとなった。これは勉強のチャンス!
毎食を手作りする エネマは毎朝毎晩キメる オードリーの6本を遵守 花火を観に行く 子どもたちと市民プールに行く 流れ星を見つける 22時、カパの間に布団に入る 4:30に起きられたので、ヴァータの空気とともに日の出を拝む、走る、歩く、体操する 仕事から少し離れているというだけで、得られるものが多すぎる。 学校生活における夏休みの意義を問い直す、というのを報道番組か何かで見かけた。必要派と不要派と。 毎週土日の休みは、労働者を休ませた方が仕事の効率がよくなる
そもそも、映画が得意でない。 映画館のスクリーンや、リビングのテレビなどに関わらず、2時間や3時間、ひと所に留まるということが性に合わないと感じる。 小説やら漫画やらの書物は自分のペースで進めることができるので、日常で触れるエンタメのスタンダードの地位に君臨している。 動けないのが嫌だ。 まるで小学生のような理由で、不朽の名作に触れないまま、生きていることに少しの恥ずかしさを感じたりもする。 そのような気質であると、映画は、病気の影響で身体的に動けない時に消費するエン
中学バスケ部の同窓会が、年に一度ある。 毎年2桁以上のOBOGが集まり、日中にバスケをして、全身ボロボロのへとへとになって、夜に飲み会というパターン。顧問の先生とキャプテンの人望に、毎年脱帽する。 飲み会では、あの頃の出来事や近況のお喋りにみんなで華を咲かせて、自分も毎年しっかり楽しんでいる。 タバコを吸いに席を外すとすぐにそいつも現れて、手元のマルメラに火をつけて言った。 「具合悪いんでしょ?ひと目みてわかったよ」 一瞬、心臓が跳ねた。 自分の中ではもうほとんど回
アトピーが回復している。 まずは、この日が来たことに心から感謝する。そして、この状態に対するひとつの区切りに辿り着いていると実感する。 気持ちが乱れたり、生活が乱れたりすると、途端にかゆみが増す。まだ腕は荒れている。けれど、顔はだいぶ綺麗になっている実感がある。 周りの人たちから「だいぶきれいになったね」などと言われると、化粧品や健康食品のモニターよろしく、なんだか嬉しい気持ちになる。 完全な回復がどんな状態なのかはわからないけれど、身体がかゆい、荒れ果てて、惨めな気持
引き続き、正岡子規を1日1話読み進めていると、病状を記述する合間に、食事の献立を記載する機会が増えてきていると感じる。 母も、家族のグループLINEに食事の写真を投稿していた。 数少ない娯楽、生に繋がる絆、なのだろうか。 日々の食事を選択できる状況の、なんたる恵まれたることよ。
母が最期に選んだ書物、正岡子規の「病牀六尺」を、その後も少しずつ読み進めている。 病床にありながら、絵画や芝居をはじめとした芸術のこと、自身の職業でもある俳句のこと、家族のこと、そして体調の状況についてなど、考えを表現する文筆集であり、1902年の5月5日から、亡くなる2日前の9月17日まで、ほぼ毎日記述しているという。 少し思い立って、7月4日まで読んでいたものを、昨日の日付である7月23日まで一気に読み進めてみた。 これから毎日、1日分ずつ、読んでいきたいと思う。