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封印していた女性性を解放したくなった話

今まで私は、セクシー、色気、というワードは嫌いだった。自分には縁がない言葉だし、そういう雰囲気を出している人の気持ちもさっぱりわからなかった。私には無縁の言葉だと思っていた。

しかし今私は、セクシー、色気、というワードを肯定的に受け入れ
更にそれらのワードと深いつながりがある「官能」というワードが気になって仕方がない。

そこに至るまでの道のりを順番に辿っていきたい。



ワイズのコートを試着した。


先月、ワイズでコート試着をした。
鏡に映る自分から目が離せなくなった。
「えっ…なんか、色気がある。色っぽい。すごく女性らしい似合う。。。」

試着したのは首から足首まで体を隠しているコート。どちらかといえばメンズライクな雰囲気のコートなのに、それを着た自分をなぜか「とても女性らしい」と感じた。
まさに、全て隠しているのに「女性らしさが香る」コート色気のあるコートだった。

いつもなら、ちょっとでも色気が香る雰囲気のものを試着すると、恥ずかしくて嫌で、すぐに脱いでしまう。

でもこのコートは違う。なんだか、このコートは私にとても似合っているように思えた。鏡に映る「初めての自分」にドキドキした。



そもそも「似合う」とは何か

話はそれるが、ガールズのKさんのツィートがきっかけで「似合う」とは、どういう状態のことなのか、ずっと考えていた。
今の私が考えた答えは、「似合う」とは美しく見えること」のように思う。

すごく似合う→すごく美しく見える
まぁまぁ似合う→まぁまぁ美しく見える
似合わない→それを着た自分が美しく見えない。
似合うかどうかわからない→これを着た自分を美しいとも思わないし、美しくないとも思わない。


ということかな?と思っている。なんだか、小学生みたいな当たり前な解答だが、今まで、この事に気づかなかった。(そもそも美しく感じるベクトルが人によって違うため、試着をして、例えば友達のAさんは「すごく似合うね」と言ってくれても、自分では「似合ってない」と感じることがあるのかな?と思う。)

なので、ワイズのコートを似合うと感じたということは、ワイズのコートを着た自分を見て、自分で「美しい」と感じたということだ。

多くの人が、試着で「似合う」と感じた事があると思う。似合う=美しくみえる事、だとすると、自分で自分を、「似合う」を通じて、「美しい」と思えることは、とても嬉しいことだし、とても幸せなことだなと思う。

そういう意味でも、ラグジュアリーブランドを始めに試着し、「自分はここまで美しくなれる」と知ってから、現実的な価格の物を試していく自問自答ファッションの方法は、なんて素晴らしいんだ…🥹と思う✨



ワイズのコートに話を戻そう。
そもそも、私のワイズのイメージは、「メンズライク」「強さ」という印象だったので、試着をして「色気」や「女性らしさ」というワードが出てくる事にすごく驚いた。
そしてそのコートを着た自分を見て「好き、なりたい、似合う」と感じた。

…という事で、私は、今まであんなに無関心を装っていた「色気」というワードをすんなり受け入れることになった。

さらに…

ブラジャーに出会う

下記記事でブラジャーに出会ったこと。

ブラをつけた自分を「きれい」と思った。洋服のシルエットも以前より格段に美しくなったように思う。
この時の体験から、「女性」である自分を、肯定できるようになった(気がする)。もっというと、自分の体をきれいと思えた事によって、女性である事を「嬉しい」と感じるようになった



そして満を持して

阿笠さんのnoteに出会う。

大興奮しながら読み、気づいた。
私、官能っていう言葉、すごく気になる。性癖というワードもドキドキする。
「官能小説」というものも読んで見たい。(買うのは勇気いるから図書館にないかな?借りるのもめちゃ勇気いる…😂)官能小説って何?どんなものなの?!と中学生なみに興味津々である。(昔BLにどハマりした過去があるので、好きになれそうな気がする…!)



ベリーダンスを思い出す

「官能」というワードについて考えていたら、ふと、ベリーダンスを思い出した。昔、夫の友人が踊るというので、レストランのベリーダンスショーを見に行った事があった。

すごく楽しそうな解放的な雰囲気で、びっくりするほどセクシーな衣装を着た女性たちが踊っていた。
こちらは色気なんてもんじゃない。香るどころじゃない。はっきり目で見える完全なるセクシー。女性の肉体美。
そこに嫌らしさや、わいせつな雰囲気は全くなかった

私も「ベリーダンス」やってみたい…!!
少し調べてみると、ベリーダンスは、女性による女性のための踊りで、母から子へ受け継がれることもあるらしい。(いろんな説があるようだが…)
セクシーな衣装を着て、女性である喜びを感じながら、女性性を解放してみたい…!!と思う…!!



なぜ今まで「女性らしさ」を避けてきたのか


このあたりで、気づく。
私は、「色気、セクシー、官能」などのワードに蓋をして、見ないようにして、生きてきたのではないか?と。
もっと言うと、BL を読んで、他人事としてそれらのワードに触れる事は出来ても、自分事としては猛烈に拒否して来た気がする

女性らしさや色気、セクシーというワードと関わらないように、押し込めてきた。蓋をして見ないようにして、生きてきた。

それはなぜか?

この答えは私にとっては、比較的明確である。
関わってしまうと、母親に疎まれたり、友達との付き合いにも支障が出ると感じていたからだろう。

色気、セクシーというワードを纏う事を、よく思わない人が多いだろう。
遊んでる」とか「誘惑してる」とか、「媚びてる」と捉えられてしまう。
同じ理由で、純度の高い「かわいい」も、「ぶりっこ」と捉えられてしまう恐れがある。

昔のイタリア映画で、美しく色気のある女性が、地域に馴染めず嫉妬され、女性住民からボコボコにされるという内容のものを、観た覚えがある(恐怖!!)



そういえば私は、大学に入学して間もない頃、大勢の前で、テツandトモの「なんでだろう」を歌いながら踊った事がある。(変な顔もしながら)
どういう経緯で踊ることになったのかは覚えていないのだが、自ら進んでした行動だった事は間違いない。(罰ゲームとかではない)


このような行動をとった理由は、今ならわかる。「私は、女を捨てて、面白い事やひょうきんな事が大好きな人ですヨ〜」というアピールだったのだろう。

女を捨てる」というワードも、当時大切だった。女性らしい雰囲気を見に纏うよりも、女を捨ててますよ、という雰囲気を纏う方が、私のいた社会では、友人を作りやすく、生きやすかったのだ。

女性らしい→ハブられる
純粋にかわいい→ハブられる
女を捨ててる→仲間に入れてもらえる

という図式があったように思う。

このような考えから、私は「女性性を感じさせるワード」を全力で避けて生きてきたのだ。


自分にブレーキをかけていた事が、また一つ見つかった。

女らしくても、いいんじゃない?
色気があっても、いいんじゃない?
セクシーでも、いいんじゃない?
かわいいでも、いいんじゃない?

地域や社会では、妬まれてボコボコにされるかもしれないけど、少なくても、自問自答ファッションの世界では、自分の城の世界では、有りだ…!!

それに、ベリーダンスの世界でも有りだ…!!

社会の中でも、ボコボコにされない範囲で、「女性らしさ、色気、セクシー、かわいい」を上手く取り入れて行く方法も、模索すればきっとあるだろう。

それらのキーワードをまとめると、もしかしたら「いい女」とやらになるのかもしれない。「いい女」という言葉、すごくかっこよくて魅力的に聞こえる…!


今まで避けて来た、「女性らしさ」。
女性である事を嬉しく感じるようになった今。
ずっと押し込めて来た「女性性」を喜びたいと思っている今。
さらにそれを解放したいと思っている今。

今回の自問自答を通して、また少し、自分を知れた気がする。
また少し自分を大切に思えるようになった気がする。
また少し自分を愛せるようになった気がする。

今度ベリーダンス教室に体験にでも行ってみよう。
図書館で官能小説を探してみよう。
また新しい発見があるかもしれないと思うとワクワクする。



お読み下さり、ありがとうございました😊

セクシーなかまち
ブラボーなかまち











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