そう、また過去の出来事で喧嘩をし、我に帰って呼び戻し。 なんとか話し合い、飯を食う。 心の奥の奥に隠れている本音をなんとか口から出して、一息つく間もなく考え、傷つき、受け入れる。 互いの顔や呼吸に現れる試行錯誤。 分かり合え無さそうなものに立ち向かう素地を、練っていると思って
2人でビールを買いに行き、それぞれが選んだものを飲み比べした。 怒涛の1週間のことを振り返り、よかったね、とただ共にいられることについて感謝した。 不安や絶望を乗せた妄想の波が押し寄せてきた時には、この1週間のことを思い出そう。 冬は寒い。なんとかやり過ごそう。
狭い空間で2人暮らしていると、お互いの認識のすり合わせがうまく進んでいない場合、かならず諍いが起こる。 諍いの種はそこらじゅうに落ちている。 ・空間の使い方(汚れた食器や服の放置、音量、掃除する各所汚れの程度基準など) ・時間の使い方(ダラダラと集中の切替、先延ばしの仕方、有言実行/不実行、必要な睡眠時間 など) ・心の使い方(ストレス発散の方法、どんな気遣いをすべきと考えているか(ポリシー)、リラックスできる環境や雰囲気の違い など) そのほかにもまだまだ沢山ある。
そういえば、昔の父母は、今の父母の様子からは想像もつかないくらいに不仲な時があった。 今の今まで、表面的な言い合いや避け合いに見えていたけれど 分かり合えない悲しさや、怒り、お互いの擦り合わせの不十分さ、未熟さ(若さ?)があったのだろう。 完璧などあり得ないと再確認した。
仕事場に行き作業をしているあいだ パートナーとの生活のことをすこし遠くから見ることができる。 こんなふうに接したいな こう言えば、ほど良い距離感になりそう 穏やかに日々を綴りたい 不思議とその場にいないときに、心の余裕が生まれる。 イライラになる前に覚えておきたい。
パートナーとの生活リズムや休み方が異なることで、こんなにストレスになるとは…と思うことが増えた。 相手が失敗を引きずるタイプなので、仕事で何かあった日は必ず何か不穏な気分を持ち込んでくる。哀れだ。 私が作った晩ご飯も、話したくて待っていた思いもなにかもそのパターンが来るとむちゃくちゃになるのだ。 当たりのないランダムガチャだ。情けない。 私は2人で雑談をしながら食べたい。 パートナーは、失敗や嫌なことを忘れるためにエンタメを観ながら食べたい。 私は味わいながらじっくり
仕事日の休憩10分は、休日の24時間よりかなり濃い気がする。 どうしてだろうか。 休日という時間をもっと心豊かに満喫したい(したかった)
久しぶりに郷里に戻り、1日過ごして思ったことがあるのでメモする。 ーーーーーーーー 罪悪感はひとまず置いておいて、その瞬間瞬間の素直な感情を置き去りにしないようにすると、精神がかなり落ち着くということだ。 例えば、(…私が良い人でありたいなら、嫌われたくないなら、こう思うべきではないのに)と考えていたとしても、湧いてきた感情をそのまま認めてしまう。 不快なものは不快。嫌いなものからは遠ざかりたい。危険は避けたい。イラつくものには残酷なことを思いたい。というかすでに思って
それでも自分の感覚を大事にしたい。今はそう、しなければ、もたない。崩れ落ちてしまう。 もし心壊されて、膝から崩れ落ちてからでも、きっと同じことを思うだろう。やっぱり、私は私の心地よい環境を守りたい。 先日、パートナーと不和があった。 女性だから 男性だからという理由では片付けることのできない、価値観や感じ方の違いに苦しみ、言葉に怒り、悲しむことのごちゃ混ぜ。 お互いの感覚を認められないことに疲れた。 途中までしていた変な我慢がはち切れ、寝た相手を起こしてぶちまけた。 そ
昔この街で学生を演じて、勉強を頑張っているふりをしていたときの感覚が、バスが走る風景に蘇る。 懐かしいとも、戻りたいとも、なんともいえない気持ち あんなに辛かったのに。 今考えれば本当に楽だなと思う。 金を稼ぐことや、生活をすることを考えなくて良かった時代だ。
半年以上ぶりに、郷里?の街へ来た。 駅は複雑な構造をしているのに、 足が自然と、帰りのバス停へ向かえているのが面白い。 言葉も匂いも雰囲気も、運転の荒さも混み具合も、同じなような同じでないような。 あの時のあの子あの人たちは、もう制服でここを歩いていない。
働くということについて。 働き方も働きがいも、充実感も虚無感も、働き始めてから決めれば良い。 その仕事を始める前から、すべてが分かるはずがない。 人生を間違えたくないからと、妄想だけ一丁前にやり、これまでずるずるとやりたいことを放置してカビさせてきた。結局中途半端だ。
1日のなかで、 あ、これについて考えを掘り下げたい。言語化したい。 と思うことが何個か出てくるのだけど、いつもそのままにして忘れてしまう。
朝起きたときの体調は、コントロールできない。 どれだけ寝る時に雰囲気が良くても、 朝起きた瞬間めまいと頭痛と人生に絶望している時もある。 ガチャのようで悔しいし怖い。 でも起きたその次の行動は自分で変えられる。 …なんて、甘いポジティブ幻想に囚われ始めたら危ない。
不快に感じることに対するじくじくした怒りや思いを、全て部屋に置いて外出したい。 いや、そういう感情を大事に持っていつも手放さないでいるのは、私自身なのかもしれない。
寝れない時もある。受け入れよう。